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卓球PRESSBACK NUMBER
「まさか五輪で対戦するとは…」早田ひな、平野美宇、伊藤美誠を育てた韓国の名将が新星シン・ユビン(20歳)に伝えた“打倒・日本”の対策とは?
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2024/09/20 11:05
パリ五輪で平野美宇、早田ひなと激闘を繰り広げた20歳シン・ユビン(左)。日本をよく知る呉光憲監督の助言に感謝した
呉監督の現役時代は韓国でも無名で、もちろん代表歴もない。指導者としての道が開けたのは、1993年にソウル女子商業高校の卓球部監督に就任してからだ。
淑徳大学卓球部がソウルに合宿に来たことをきっかけに日本との交流が始まると、1995年に初来日して淑徳大学女子卓球部のコーチに就任。6年目の2000年に関東学生リーグ1部に昇格させ、同年のインカレで初優勝を果たした。さらに2004年まで史上初のインカレ5連覇を達成。2014年までインカレ優勝は通算11回で、無名だった淑徳大学を強豪を育て上げ、呉監督も“名将”と称えられた。
中学生の逸材「初めて見たときから…」
この実績と手腕に注目したのが日本卓球協会だった。2009年から女子日本代表コーチを兼任し、2013年4月からは女子ジュニア日本代表監督に就任した。この時に指導した選手の中に、当時中学1年の伊藤美誠や平野美宇、早田ひながいた。
「初めて見たときから彼女たちには確かに才能がありましたし、実力は申し分なかった」
まだ13歳だった彼女たちに教えたことは、数知れず。さまざまな出来事は強烈な思い出として呉監督の記憶に残っている。
「当時はまだ彼女たちは中学生。強くなるためにはまず、意識改革が必要でした。一つは集中力を高めること。試合中に集中力が途切れるとすぐに劣勢に立たされますからね。それに今では想像もつかないかもしれませんが、練習中はとても静かだったんです。なので『美誠、ファイト!』なんて大きな声を出し合うことから始めました」
さらに負け続けていた中国に勝つために、ハードな練習を課したのもいい思い出だ。
「今まで経験したことのない幅の広い卓球を駆使させるためにも、体力と筋力アップは必須。ジュニア選手はあまり体力がないので、厳しいトレーニングを課しました。『しんどい』『筋肉痛だ』とよく言ってました」