ラストマッチBACK NUMBER
目の状態が悪化し「視界全体が砂嵐のように…」卓球・水谷隼が現役最後の試合で“ボールの回転が見えない”のに勝てた理由
posted2022/02/27 06:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
KYODO
'20年8月に始まった本連載もこれがラスト。東京五輪・卓球男子団体の銅メダルを懸けた戦いに臨んだレジェンドが抱えていた思いとは。
◇◇◇◇
2021.8.6
東京五輪 卓球 男子団体
3位決定戦 日本vs.韓国 第4試合
成績
水谷隼 3-0 張禹珍
◇
2021年8月6日、東京オリンピック卓球男子団体の3位決定戦は第3試合まで進んでいた。日本代表のユニホームに身を包んだ水谷隼はコートサイドのベンチに腰掛けていた。妙に落ち着いた気分だった。
目の前ではチームメイトの丹羽孝希がシングルスを戦っている。それが終われば水谷の出番だ。刻一刻と競技人生最後の試合が近づいていた。
水谷の手元には特製のゴーグルがあった。それがなければもう戦えなかった。卓球選手として生命線とも言える目に異変が起きたのは3年ほど前のことだった。最初は会場のLED照明が気になった。しばらくすると視界にフラッシュの残像のような小さな白点が無数に残るようになった。白い点は次第にその数を増やしていった。
《視界全体が砂嵐のようになるんです。病名すらわからず、日を追うごとに悪化していくような感覚でした……》
自分には回転が見えていないんじゃないか
照明対策のゴーグルをつくった。寝る前にコンタクトレンズを装着し、3種類の目薬を差し、幾つかのサプリメントを口にするようになった。新しい治療を試みるたび劇的に回復するのではないかと期待したが、やがて水谷の目はピンポン球がどう回転しているのか、正確に判別できないようになっていった。
《球がきても、自分には回転が見えていないんじゃないかと疑心暗鬼になる。意識がプレーではなく目の方にいってしまうようになりました。大舞台になって集中して見ようとするほど対応が遅くなってミスしてしまう。僕は競り合いに強かった方ですが、それからは競り負けるようになっていきました》
繰り返される希望から絶望への落下によって水谷の心は擦り切れていった。何よりトップレベルで卓球をする条件を満たせなくなっていくことが耐え難かった。東京を最後にラケットを置くと決めたのはそのためだった。