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偏差値70“青森No.1進学校”で2度の甲子園出場、甲子園準Vの八戸学院光星・黄金世代も撃破…今夏勇退「八戸高の名伯楽」とは何者だったのか?

posted2024/09/14 06:02

 
偏差値70“青森No.1進学校”で2度の甲子園出場、甲子園準Vの八戸学院光星・黄金世代も撃破…今夏勇退「八戸高の名伯楽」とは何者だったのか?<Number Web> photograph by 八戸高校公式野球部OB会HPより

今夏で合計37年務めた八戸高野球部の監督を勇退した品田郁夫監督。青森No.1の超進学校を率いて数々の奇跡を起こせた理由は何だったのだろうか?

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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八戸高校公式野球部OB会HPより

 今も偏差値70を誇る青森のNo.1進学校である八戸高。同校野球部の品田郁夫監督が今夏、勇退した。「普通の公立校」を率いての2度の甲子園出場や、超強豪・八戸学院光星の“最強世代”撃破など、記憶にも記録にも残った名伯楽。その手腕と背景は、いったいどんなものだったのだろうか。《全2回の1回目/つづきを読む》

今夏勇退した、青森の「ある名伯楽」

 2024年夏、ひとりの高校野球指導者が、都合37年に及ぶ監督生活に幕を引いた。

 入学した当座は、部員全員が東大か医学部を本気で目指しているほどの野球部を率いて、それでも夏の甲子園大会に2度も勝ち進み、田村龍弘(現千葉ロッテ)や北條史也(元阪神)がいて3季連続甲子園準Vの快挙を果たした頃の光星学院(現八戸学院光星)を県大会で倒す超快挙もやってのけた。

 そんな名伯楽が惜しまれながら、この夏の青森県大会を最後に、71歳でユニフォームを脱いだ。

 八戸高校野球部監督・品田郁夫。

 OB監督ではあるが、教員ではなかった。今の言い方で「外部監督」。それでも私から見れば、教員の監督さん以上に「教師感」の漂う立派な「田舎の名将」であった。

 その人との出会いは、私が早稲田大学野球部の1年生の時。品田さんは、1年先輩の2年生だった。

【次ページ】 46年前から八戸高の野球部監督に

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