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「脱ぐのが恥ずかしい」戸惑う高校生、会場で保護者が見た“盗撮現場”…「ビキニ一択」から変化した、学生ビーチバレー界のユニフォームの今

posted2024/09/18 11:02

 
「脱ぐのが恥ずかしい」戸惑う高校生、会場で保護者が見た“盗撮現場”…「ビキニ一択」から変化した、学生ビーチバレー界のユニフォームの今<Number Web> photograph by Toshimitsu Nakao

かごしま国体にて、ビキニ着用の選手とタンクトップ着用の選手が対戦する様子

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吉田亜衣

吉田亜衣Ai Yoshida

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Toshimitsu Nakao

ビーチバレー競技のユニフォームの多様さは、パリ五輪でも大きな話題を集めた。では、トップカテゴリーではなく、日本の学生ビーチバレー界ではどうなっているのだろうか。その現状と変化を、指導者、選手、そして保護者の声から考える。《全2回の初回》

 さまざまな形のユニフォームが存在し、エッフェル塔スタジアムを彩ったパリ五輪のビーチバレー競技。ビキニ、ショートパンツ、ロングスパッツ、インナーウエアなど選手の意志によって自由に選択し、ユニフォームにおける世界の潮流を示してみせた。

 その流れは、かつてユニフォームがビキニ一択だった日本国内の学生ビーチバレー界においても、確実に浸透し始めている。

保護者の声「(娘は)ビキニは着ないとダメなんですか?」

 日本国内で最初の高校女子全国選手権大会が誕生したのは、1997年。愛媛県で開催されてきた「マドンナカップin伊予市(全日本ビーチバレーボール高校女子選手権)」だった。

 全国大会と言えど、国内のビーチバレーの認知度は低かったこともあり、第1回は28チームが出場。2000年代前半頃までは、丈の長いトップス、短めのスパッツなどの着用も許容されていたが、2000年代後半に入るとトップスは大会の公式ユニフォームを着用し、セパレート型の『ビキニ一択』に変わった。

 当時の状況を話してくれたのは、松山市出身でVリーグチーム、インドアバレー代表のエースとして活躍し、ビーチバレーでも2度の五輪出場を果たしてきた佐伯美香氏(松山東雲女子大・短期大バレーボール部コーチ)だ。現役引退後、佐伯氏は地元の高校生、大学生、アンダーカテゴリーの日本代表チームなどの指導に携わってきた。

「ビキニの着用が決められていた頃、親御さんからは『ビキニは着ないとダメなんですか?』と聞かれたこともありました。あと、国際的ルーツを持つある女子選手の親御さんが信仰している宗教では肌の露出が禁じられているということから、娘さんがビキニを着ることに猛反対されたこともありました」

【次ページ】 選手の親が目撃した“盗撮現場”

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