Number ExBACK NUMBER
大黒柱のスプリンターは急逝…投擲エースはスポーツデータの解析業に 22年前、陸上競技で“全国総合優勝”「もうひとつの大社旋風」その後の物語
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by取材対象者提供
posted2024/09/08 11:03
インターハイ陸上で22年前、総合優勝を果たした島根・大社のメンバー。投擲エースの岡先聖太(中央)や大黒柱だった野田浩之(7番)らを擁した
「急に高校時代の先生から電話が来て、『野田が亡くなった』と。驚いたというか……言葉が無かったです。大学卒業後は、全然会っていなかったんですけど、たまに走っていた地元の競技会とかの結果とかは目にしていましたから」
まだ25歳の若さだった。
地元・島根で行われた葬儀には、大社高時代のチームメイトたちも多く参加したという。
顔を合わせれば、話題に上るのはやはり9年前の総合優勝時の記憶でもあった。
「『野田君がまた、チームメイトを集めてくれたんだね』という話をして。インターハイの総合優勝はもちろんですけど、そこに行くまでに『色んなことがあったね』という思い出話は尽きなかったです」
上述のように、もともと大社はスポーツが盛んな高校とはいえ、相対的に見ればいわゆるスポーツ校とは一線を画す普通の公立校である。
全国制覇の実績を残していても、この世代はほとんどのメンバーが卒業後は競技を続けなかった。大学で陸上を続けたのは、野田と岡先のエース級の選手ほか、ほんの数名だけだったという。その岡先も就職を機に競技から離れていた。
一方で、野田だけは就職後も地元・島根で走り続けていた。中国地方の大会を中心に競技を続け、健脚を披露し続けていた。
その野田が亡くなったことで、競技を続ける者はいなくなった。そこで2002年の“大社旋風”は本当の意味で終わりを告げることになったのかもしれない。
再び起きた“大社旋風”…その「不思議な縁」とは?
それから10年以上が経った。
今夏、岡先は突如巻き起こった甲子園での再びの“大社旋風”を、意外な場所で目の当たりにすることになった。
「スポーツが繋ぐ縁というのは本当に不思議だなと思いましたよ」
岡先がそう語ったのには理由がある。