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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「痛めた手で涙する仲間を」東海大相模・原辰徳に勝った翌日…“甲子園で365戦実況”83歳アナが忘れない“鹿実アイドル”定岡正二の去り際
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2024/08/22 11:25
鹿児島実業時代の定岡正二(左)。いわゆる“甲子園アイドル右腕”の1人だ
「鹿児島実業の監督は、今でも名誉監督を務めている久保克之さん。私は前年まで鹿児島局のアナウンサーだったので非常に仲良くしていました。この時のエースが、定岡3兄弟の真ん中の定岡正二投手でした。
試合前に久保監督のところに行って『昨日あれだけ戦って、みんな寝られましたか?』って聞いたら、久保さんが『寝るのは寝たようだけど、正二ちょっと来てみろ』といって、定岡投手を呼んで、私にユニフォームを触らせたんです。
すると、まだビショビショに濡れているんですね。試合が終わってから洗濯をしたけども、ユニフォームを干して乾かす時間もなかったのです。こんなビショビショで大丈夫かなと思ったら、定岡投手は『また、すぐ汗かきますから大丈夫です』と元気にグラウンドに出ていきました」
15回完投の翌日、定岡は走塁中に右手首を…
定岡は前日15回を完投し、213球を投げていたが疲れを見せず好投を見せる。鹿児島実業は3回に好機を迎えたが、ここで不測の事態が起きた。
定岡がランナーに出ると、次打者が安打を打って、定岡が三塁を回って本塁生還を狙ってヘッドスライディング。右手で本塁をタッチしたものの、アウト。このプレーで右手首を痛めてしまって投げられなくなったのだ。
「それ以降は2年生のアンダースロー、堂園一広投手が上がりました。この投手も頑張って、お互い1対1のまま同点で9回まで来ました。今も言ったように、私は前年まで鹿児島局に勤務していて、選手もよく知っているし、監督とも親しかった。でも、鹿児島実業の応援放送はしない、とずっと心の中で決めていました」
島村アナは前述した通り、甲子園に加えてオリンピックでも数多くの競技の実況中継を担当してきた。日本選手の活躍を伝えるときにも、やはり「応援放送はしない」という意識を心の中で持っていたそうだ。
その理由について、このようにも語る。
「もちろん、私だって日本選手に勝ってもらいたい気持ちはあります。だけど、相手のチームや選手もみんな、日本の選手と同じように『勝ちたい』という強い思いをもってやってきている。その思いは同じはずです。そう思えば、応援放送なんてできないと思ったのです」
島村氏は「パリオリンピックが先日終わりましたが、今の放送ではじゃんじゃん応援放送をしているようですが……」とも話していたが——アナウンサーとしての信念を貫いて甲子園の準決勝もマイクに向かっていた。
エラーで号泣するセンターを、定岡は痛めた手で
試合は9回裏、防府商業が迎えたチャンスで、まさかの結末が待っていた。