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田中希実が英語で伝えた思い「この記録は東京の時以来なんだ」準決勝敗退後に豪州選手とハグ…「日本でまたノゾミと走りたい」“戦友”は銀メダリストに
posted2024/08/18 11:03
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph by
Yohei Osada/AFLO SPORT
国内最強とされてきた選手が五輪の舞台で「世界の壁」を痛感する。パリ五輪で何度となく目にした光景だ。陸上で言えば、田中希実がそれにあたるだろう。
国内では抜きん出た存在だ。1500m、3000m、5000m。これら3つの日本記録にはすべて田中の名が刻まれている。前回の東京五輪では1500mで8位入賞、日本人初の3分台を2度記録。再び挑んだ五輪の舞台、パリ郊外のスタッド・ド・フランスで行われた女子1500m準決勝。レースを終えた直後、気になったシーンがあった。報道陣の取材に応じる手前のエリアで、田中が右手をオーストラリアのジェシカ・ハルの背中に差し出し、よりかかった。数秒ほど抱擁をしながら言葉をかわしたふたり。一体、孤高のランナーは3歳年上の「戦友」に何を語ったのか――。
東京五輪後、田中希実が直面していた“3分台の壁”
8月6日の1500m予選は11位となるも、接触による影響が認められ、救済措置で準決勝の舞台に立つことが許された。2組目に登場した田中は号砲が鳴らされると、後ろから5~6番手に位置取る。その前にはハルがいる。1周400m、スタートから300mを意味するゴールラインを過ぎると電光掲示板に「残り3周」の表示がされる。
東京五輪以降の3年で3分台は記録できていなかった。3分台は歴代2位の小林祐梨子が持つ4分7秒86(2006年)を大きく上回る大記録。しかしその後、2位の記録は超えるものの自身の記録を更新できず苦しい時間が続いた。3分台の壁を破ろう。意識はあった。しかし、どこか逃げていた。
「今日は勝つだけでいいかな」
「今の時期的にこれぐらいのタイムでまとめれば十分」
「自信のなさから目標を下方修正してしまう自分がいる」
3分台の壁を分厚くしていたのは自分だった。6月の日本選手権、1500m決勝の後、テレビのインタビューでこんな言葉を残していた。
「東京オリンピックのその3分台さえなければ、(4分01秒というのは)自己ベストのタイムなので、そこはまあ喜んでいいのかなとは思う」
「さえなければ」。その言葉に、オリンピックの残影の深さが際立っていた。