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「え、こんなボールだったっけ?」169球目は無情の押し出し四球…江川卓が散った51年前の“サヨナラ決着”相手エースが明かす「怪物攻略計画」
posted2024/08/16 17:03
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
JIJI PRESS
パリ五輪が盛り上がっていた8月7日、夏の甲子園が開幕した。第106回だが、今年は甲子園ができて100年という節目。智弁和歌山の辻旭陽主将による「僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続け、憧れの地であり続けることです」という素晴らしい選手宣誓で始まった。
「100年」の結実と課題
初めて甲子園が使用された第10回大会があった1924年も、五輪の開催都市はパリだった。その夏に「甲子園」まで勝ち上がったのは19校。そのうち100年後の今大会も地方大会を勝ち抜いたのは早稲田実だけだった。1世紀もの間、全国レベルでの強さを維持することの難しさ。近年は生徒数の減少に比例して、野球部員も年々減ってきており、辻主将が「夢」と掲げた「この先の100年も聖地であり続ける」ためには、小学生など底辺の拡大、猛暑との付き合い方等、関係者のさまざまな努力が必要となりそうだ。
そういう意味では開幕から3日間で試験的に導入された「朝夕2分制」など、とにかく選手ファーストでの取り組みは今後も期待できそうだ。
江川が語った「甲子園」
ドーム球場での実施を説く意見は前々からあるが、何せ100年の歴史がある。「甲子園は甲子園で開催されてこその甲子園」という声が根強いのも、辻主将の宣誓もやはり「聖地」であり、単に全国大会出場だけが目標ではないということだ。開幕戦で始球式を務めた江川卓さん(以後敬称略)も、甲子園を独特の表現で語っている。
「毎年、春と夏にだけ現れる幻のような場所なんです」
のちに巨人のエースとして阪神と戦った「甲子園」と、作新学院のエースとして踏みしめた「甲子園」は別物という意味だ。春と夏にだけまるで異空間のように現れ、熱狂渦巻き、青春の思い出をつくり、大会が終わると消える。