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「あと3cm」「あと1人」で五輪を“逃した”日本王者が思うこと…走高跳・高橋渚(24歳)が振り返るパリまでの日々「ラッキーで行ける舞台じゃない」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byYuki Suenaga
posted2024/08/17 06:00
6月の日本選手権走高跳で3連覇を達成した高橋渚(センコー)。わずかに届かなかったパリ五輪への想いはどんなものだったのだろうか
国内外の大会で安定して1m80cm台の後半をマーク。5月の静岡国際では自己記録を更新する1m88cmの跳躍にも成功し、6月のニューヨークシティ・グランプリでは1m87cmの記録で2位に食い込んだ。慣れない環境の海外大会でも崩れることなく自分の跳躍を続けていたことは、高橋の実力の高さを物語るものでもあった。
現在、日本の女子走高跳という競技は停滞期にある。
日本記録は20年以上前に記録された1m96cmのままで、女子陸上競技の主要種目では日本最古の記録となっている。最後に日本人選手が1m90cmの大台を跳んだのも、実に11年前まで遡る。
そういった現状を鑑みた時、自身の記録の「壁」を破るには、この日本選手権がおあつらえ向きの舞台のはずだった。
「最初は来年の東京世界陸上が大きな目標にあったんです。でも、海外転戦をしてみて、実際にポイントの計算をしてみると『アレ、これパリ五輪も行けるんじゃない?』と急に現実的に見えてきて。それだけに何としてでも跳びたかったんですけどね」
そんな背景もあって、大会後は五輪を決められなかった悔しさよりも「目標にしていた1m90cmが跳べなかった悔しさの方が大きかった」という。最終的に大会後の6月末時点で、上位32人の出場者が選ばれる世界ランキングで、34番目という形になった。
パリ五輪の出場者は32名。高橋の最終順位は…?
ただ、上位選手に故障やさまざまな事情で欠員者が出ることもある。
その場合は繰り上がりでの選出もありうるため、7月初旬の期日まで可能性は残されることになった。
「選ばれてほしいという気持ちが無かったと言えばウソになりますけど、それで何も手がつかないとか、そういうことはなかったです。少なくとも今期はここまで海外の試合も含めて自分の実力自体は出せていたので、運を天に任せる感じでした」
結果的に言えば、ランキング上位者からの欠員は1人だけだった。つまり、高橋は出場32選手の次――33番目の選手ということになった。
あと1人で出られたかもしれない夢舞台。最終結果を受け、率直にどんな思いを抱いたのだろうか。