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「俺は本当にここでやっていけるのか」藤浪晋太郎30歳がいま明かす大阪桐蔭の記憶…心に刻まれた西谷浩一監督の呼び出し「藤浪、ちょっと来てくれ」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama / Hideki Sugiyama
posted2024/08/15 17:01
甲子園で春夏連覇を果たした大阪桐蔭高校時代の葛藤を明かした藤浪晋太郎(30歳)
〈個人的には、大阪桐蔭の強さは受け継がれてきた伝統にあると思っています。入部して最初の日、1年生は先輩たちのノックを見るんです。誰もがそこで、俺はとんでもないところに来てしまったと後悔する。強度も緊張感も技術レベルもとんでもないです。しかも大人によって生み出される緊張感ではなく、少しでもカバーリングを怠ったりすると選手同士で指摘し合っている。新入生はみんな中学で有名だった選手なんですが、俺は本当にここでやっていけるんだろうかと鼻をへし折られるところからスタートするんです〉
大阪府大東市の生駒山に開かれたグラウンド、そこには圧倒的な熱量と緊迫感と、その上での一体感があった。そして藤浪も後になって分かったことだが、その異様な空気の元をたどれば一人の人物に行き着く。今春、甲子園の歴代最多勝利監督となった西谷浩一である。
〈精神論って好きじゃないんですけど、やっぱり西谷先生に何度も言われた、粘り強く、泥臭くというのが自分の原点にはあります。本当に何度も何度も言われましたから……。またそのタイミングや話し方が上手いので引き込まれるんですよね〉
西谷監督から呼び出し「藤浪、ちょっと来てくれ」
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数ある西谷とのやり取りでも、とりわけ藤浪の胸に刻まれているのが、投手として葛藤していた時期のものだという。
〈精神的には2年生の夏が一番辛かったんです。エースナンバーをもらいましたが、大阪大会の決勝で負けてしまって、先輩たちと甲子園に行けなかった。負けた日は夜中に3回夢を見ました。勝った夢、引き分け再試合になる夢、現実通りに負ける夢で、その度に目が覚めました。それから1週間くらいは呆然と過ごしていて記憶もほとんどありません。その後、秋も近畿大会の準々決勝で負けて……。なんとか春のセンバツには出られることになったんですけど、自分たちがやっていることは本当に正しいのだろうかという不安がずっとありました〉
そんな2年生の冬のことだった。その日、いつものように練習をしているとグラウンドに放送が響いた。
『藤浪、ちょっと来てくれ』
一塁側に小屋がある。西谷はそこから練習を見ていることがあり、そんなときは放送によってグラウンド全体に指示を出していた。
「俺は悔しい。あんなこと言わしといてええんか」
なんだろうか……。
藤浪はひとり自分だけが呼ばれた理由を考えながら扉を開けた。
いつになく強張った表情の西谷がいた。