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「俺は本当にここでやっていけるのか」藤浪晋太郎30歳がいま明かす大阪桐蔭の記憶…心に刻まれた西谷浩一監督の呼び出し「藤浪、ちょっと来てくれ」

posted2024/08/15 17:01

 
「俺は本当にここでやっていけるのか」藤浪晋太郎30歳がいま明かす大阪桐蔭の記憶…心に刻まれた西谷浩一監督の呼び出し「藤浪、ちょっと来てくれ」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama / Hideki Sugiyama

甲子園で春夏連覇を果たした大阪桐蔭高校時代の葛藤を明かした藤浪晋太郎(30歳)

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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Takuya Sugiyama / Hideki Sugiyama

 春夏連覇を達成した常勝軍団・大阪桐蔭のエースは遠くアメリカのマイナーで戦いを続けている。日本から訪ねると、柔らかな表情で迎えてくれた。30歳となった今、藤浪晋太郎が濃密だった3年間を振り返る。
 発売中のNumber1102号[米国直撃]藤浪晋太郎(大阪桐蔭)「風が吹いたときこそ」より内容を一部抜粋してお届けします。

アメリカ大陸の辺境に藤浪晋太郎を訪ねて

 ニューヨークのマンハッタンから北へ車で4時間ほど走るとカナダとの国境近くにシラキュースという街がある。かつては重工業で栄えたが、今は俳優トム・クルーズの出身地として、あるいは有名私立大学やニューヨーク・メッツ傘下の3Aチームの所在地として知られている。

 7月10日、午後2時過ぎ。街の北西にあるシラキュース・メッツのホームスタジアムでは投手たちが外野の芝生でキャッチボールを始めていた。3mに満たない外野フェンスの向こうには未舗装の砂利道と茂みが広がっていて、ホームランが出ればボールはまず見つからないだろう。一枚板の客席に、ホットドッグとビールのフードカート。映画に出てきそうなマイナー球場で肩をならすメジャー予備軍たち。その中にひとり、チームメートの倍以上の距離でキャッチボールをしている投手がいた。彼の球はそれでいて誰よりも低く伸びていく。頭ひとつ抜きん出た長身と黒髪だけでなく、このスポーツへの取り組み方そのものが周囲とは異質なのだと分かる。

 日本各地で高校球児たちが地方大会を戦い始めた7月半ば、藤浪晋太郎は1万500km離れたアメリカ大陸の辺境にいた。

〈高校の時、練習中に「自主課題」という時間があったんです。それぞれが自分に必要なメニューを考えるんですが、そこで自分はよく遠投をしていました。50mくらいの距離でゆっくりと球を伸ばす練習です。他にもシャドーピッチングやフィールディングなどもやっていました〉

大阪桐蔭でスタート「俺は本当にここでやっていけるのか」

 まだ合衆国の大統領がバラク・フセイン・オバマ2世だった2012年、藤浪は大阪桐蔭高校で史上7校目となる甲子園春夏連覇を成し遂げた。あれからもう日本の干支がひとまわりするほどの時間が流れたが、彼は青年期の濃密な時間を、まるで昨日の出来事であるかのように語った。

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