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“現役慶大生の金メダリスト”飯村一輝20歳とは何者か?「試合前日にインスタライブ」「髪型をキメてパリへ」フェンシング“かきあげ王子”の令和な素顔
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2024/08/07 19:01
フェンシング男子フルーレ団体で日本のアンカーを務めた飯村一輝。金メダル獲得の瞬間、グラン・パレの大歓声を一身に浴びる
競技以外の要素も大切にするアスリートだ。さまざまな大学から勧誘があったが、スポーツ推薦のない慶應義塾大学に入学した根底には「フェンシングだけでは生活できない」という考えがある。フェンシング選手の多くは競技に専念するだけでは生計を立てることができない。フェンシング一家に生まれ、その現実を知っているからこそ、SNSでの発信も惜しまない。そんな新時代のエリートフェンサーも挫折がなかったわけではない。
最年少剣士が味わった重圧と「どん底」
ジュニアの年齢ながらシニアの日本代表に選ばれ、加入した男子フルーレ団体。武士のような風格で日本を牽引し続けてきた松山恭助、天才肌の敷根崇裕など5歳以上年の離れた選手と肩を並べてプレーすることは、最年少の身に大きな重圧となってのしかかった。
「団体メンバーの中で結構僕だけ歳が離れていて、当初は先輩方の足を引っ張らないようにしないといけないという意識が強くて空回りしてしまったり、うまくかみ合わない展開が多くありました。そこで先輩たちが僕に大きい背中を見せて、『一輝は自由に動いていいんだ』と声をかけ続けてくれたんです。それに気づかされた時に初めて、僕はこのチームの起爆剤としてうまく機能すればいいんだと思えました」
自由を与えられた最年少の剣士は躍動する。気負いもなくなり、相手の勢いを止め、逆転劇を演出する場面が増えていく。だが、団体戦での自分の立ち位置を確立した矢先に再び試練が訪れる。
「オリンピックシーズンが始まった昨年5月、シーズン1戦目のメキシコでの国際大会で、本戦トーナメントの初戦で敗れてしまったんですね。他の選手はみんな結果を残す中で、僕だけ初日で負けてしまった。置いていかれている感があって『どん底』にいる気分でした」
傍らで寄り添ったのは、コーチのエルワン。異変に気づいた金メダリストは他の選手の試合が始まっても愛弟子と1時間以上にわたって話し続け、こんな結論に至った。
「五輪を意識しすぎて空回りしていた」
飯村は以前こう語っていた。
「五輪のメダルを取るか取らないかで人生が大きく変わる」
そんな切実な思いが焦りを生んでいた。