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アメリカにいた“無名の少年”がなぜ日本代表に? 男子バスケ代表の最年少・ジェイコブス晶(20歳)とは何者か「運命を変えた母の助言」
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byAFLO SPORT
posted2024/07/27 11:06
バスケットボール男子日本代表・ジェイコブス晶(あきら)。2004年4月13日生まれの20歳、神奈川県横須賀市出身
子供の頃から、NCAA1部に進学してNBA選手になりたいという夢を持っていたが、高校ジュニア(日本の高校2年)になっても、まだどの大学からも声がかかっていなかった。海外に暮らす有望な若手日本人選手の発掘を進めている日本バスケットボール協会は、彼の存在こそ知っていたものの、代表級の選手なのかどうかはわかっていなかった。
そんなとき、世界は新型コロナウイルスで一変した。そして、ジェイコブスの運命も急展開した。
カリフォルニア州は感染予防のための行動規制が特に厳しく、いつも使っていた体育館はすべて閉鎖され、屋外のコートも、人が集まらないようにゴールが取り外されてしまった。それまでバスケットボールをする場所に困ることはない環境だったのが、シュート練習すらできなくなってしまったのだ。
そんな中で冬休みに日本に一時帰国したら、日本では体育館でバスケットボールをしていたのだ。
「日本にいればバスケットボールができる」
そう思ったジェイコブスは、冬休みが終わった後も、アメリカに戻らずに日本に残ることを決断した。コロナ禍で、さらに海の反対側の日本では、いくらプレーしてもNCAAのコーチたちに見てもらえる可能性はなかったが、それでも、とにかくバスケットボールがしたかったのだ。コロナ禍でなければ考えなかった選択肢だった。
「どうせ、今はアメリカではバスケットできないし、ちょうど日本にいたし、日本でちょっと頑張ってみたら、そこからどうにかなるでしょうと思っていました」
「同じ努力を日本でも続けなさい」
後から考えると、これが運命の分かれ目となった。ジェイコブス自身、「運命ですね」と言う。
日本に残る決断をしたときに、母からもらったアドバイスがある。
「これまでアメリカですごく努力しても見てもらえなかったけれど、それと同じ努力を日本でも続けなさい。見てくれる人が1人でもいれば、うまくいくから」
コロナ禍前のアメリカのように多くの人に見てもらえる環境でなくても、誰か1人に認められることで道は開けていく。誰も見ていなくても、結果が出なくても努力を続けていけば、必ずいつか実を結ぶ。そんなアドバイスだった。
そのアドバイスに従って、どんなときでも練習に真剣に取り組んできた。そして、その姿勢がジェコブスを成長させてきた。