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「石川祐希のような選手と一緒にできて幸運だなと」盟友・柳田将洋の記憶に残る“5年前のミーティング”と“小さな差”「石川こそ努力の人」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byYUTAKA/AFLO SPORT

posted2024/07/27 06:02

「石川祐希のような選手と一緒にできて幸運だなと」盟友・柳田将洋の記憶に残る“5年前のミーティング”と“小さな差”「石川こそ努力の人」<Number Web> photograph by YUTAKA/AFLO SPORT

2014年アジア大会(準優勝)でともに日本代表デビューを飾った石川祐希と柳田将洋

 当時の日本代表は中垣内祐一監督が指揮を執り、柳田が主将を務めていた。その年の代表が始動する際の全体ミーティングで監督が、同年10月に行われるワールドカップの目標を「ベスト8以上」と告げた。

 そのとき隣に座っていた柳田と石川は顔を見合わせた。

「ワールドカップって何カ国出場するんだっけ?(12カ国)」
「オレら(15年の前回大会は)6位だったよね?」

 こんなやり取りのあと、石川が全員の前で「ベスト8では低すぎます」と指摘した。当時、石川はこう語っていた。

「やる気満々で(代表に)行っていたので、そういう目標を聞かされた時に納得がいかなくて。自分だけでなく他の選手もそうでしたし、自分たちが思っていることと監督スタッフの思っていることが一緒でないと、チームが強くなっていかないと思うので」

 柳田はこう回想する。

「そこはどうしても引っかかっちゃって(苦笑)。『やるならトップでしょ』みたいなところが僕らにはあったので。しかも2020年(開催予定だった)東京五輪の試金石になる大会で、『それは低くないか?』というのが確かにあって。

 そこで口火を切って、声を出してくれたのが石川選手でした。口に出すということ自体はそれ以前にもありましたけど、目標を正し直すというのは初めて見ました。僕はキャプテンでしたけど、ありがたかった。『おー大丈夫か?』みたいなのもありましたけど(笑)。やっぱり大事だよねそれは、という感じでしたね」

柳田の目から見たエース石川祐希

 柳田と石川はともに2014年のアジア大会で日本代表にデビューした。当時柳田は慶應義塾大4年、石川は中央大1年。東京五輪を見据えて当時の南部正司監督が若手を抜擢したその年を起点に、日本代表は上昇へと転じた。

 そこから2021年まで、2人は日本代表で若手から中心選手へと立場を変えながら並走してきた。石川はイタリアに渡り、柳田もドイツやポーランドのリーグを経験。世界を相手に戦う戦友であり、よき理解者でもあった。

 石川が日本の絶対的エースへと歩むさまを近くで見てきた柳田は、こう語る。

「少しの差であっても、それを積み重ねることによって大きな違いが生まれるとよく言われますが、まさに彼は若い頃からずっと、その積み重ねを大事にやってきた。僕自身もアスリートなのでそれはやってきたつもりなんですけど、その“小さな差”というのを僕の中では昔から感じていて。1つの意識や行動が何か少し違って、それを愚直に継続する。あの頃から少しずつ差が出てきたのかなと思ったりします。

 一見すると、彼は今もうスーパースターなので、周りからすれば、才能に恵まれていて、バレーボールのセンスがあって、というイメージを持たれると思います。でも彼こそ努力というか、日々の小さな積み重ねを若い頃からしてきた人間。それが結果として今の石川祐希を作っている。というか彼自身で作り出した。

 そういう姿を僕は若い頃に間近で見られて、今のようになるきっかけを感じたので、超えられないというか、彼がどんどん先に行くようなイメージでしたね」

 柳田自身も高いプロ意識を持ってバレー界を引っ張ってきた一人だが、その柳田が感じた“小さな差”とは。

【次ページ】 「(石川と)一緒にできて幸運だなと思う」

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