バレーボールPRESSBACK NUMBER
「テンさんの指が…」五輪直前にセッター竹下佳江が骨折…リベロ佐野優子が語る“12年前の銅メダル秘話”「最強女子バレーを支えた小さな2人」
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byAZUL/AFLO
posted2024/07/24 11:01
長らく日本代表を牽引したセッター竹下佳江とリベロ佐野優子(写真は2010年世界バレー)
2008年の北京五輪後に就任した眞鍋監督は、ロンドン五輪でのメダル獲得を大目標に掲げ、セッター竹下佳江、エース木村沙織、そしてリベロ佐野優子の3人を柱にチーム作りを進めた。10年の世界選手権で銅メダルを獲得、11年のワールドカップでも4位と、常にメダル争いに絡むことで、ロンドンでのメダル獲得が現実的なものとなっていった。
ところがロンドン五輪直前に計算外のアクシデントに見舞われた。五輪後に明かされたことだが、絶対的司令塔の竹下が、スイスでの直前合宿中に左手人差し指を骨折してしまったのだ。佐野はその内幕をつぶさに見ていた1人だった。
「レシーブ練習をしている時に(竹下が)“うわっ!”となってコートを出て、病院に行きました。『これは、絶対になんかあるな』って……」
骨折だった。ただ、その事実を知らされていた選手は、竹下と付き合いが長く同部屋だった佐野と、大友愛だけだった。
「確か、部屋に帰ってきてすぐに『どうでした?』と聞きましたね。そしたら『うん、折れてた』って。『もう、固定してやるしかない』って。本人もやってみないとわからない感じだったんじゃないかなと思います。ギプスみたいなのをつけて、『明日の練習やってみる』と。『え? こんな硬いのつけてトス上げれる?』と思った記憶があります」
翌日の練習では、密かに佐野も緊張を帯びていた。
「私は聞いていたから、次の日の練習でテンさん(竹下)にボールを出すのがすっごい怖くて(苦笑)。サーブレシーブとか返す時にキツいボールを出したらダメだから、めちゃくちゃ慎重に“ふわぁー”というボールを返していました。ボールが高すぎてもダメだし、とにかくいつも以上に精度高くというのを意識していましたね」
「みんなが知ったら動揺しちゃうかもしれない」
竹下が練習を抜けて病院に行った時は、選手たちの間に「ヤバいんじゃないか」という不安が広がったが、翌日練習している姿を見て「突き指だったのかな」と周囲は落ち着きを取り戻した。
「『全員には言ってないから』と聞いて、『そうやんな』と思いましたね。みんなが知ったら動揺しちゃうかもしれない。やっぱり指だから。セッターが指やるって大変なこと。例えば私とか、(右利きの)スパイカーが左手を怪我しても、右手で打てるし、オーバーハンドを使わずにアンダーハンドでなんとかできるイメージだけど、セッターが指をやった時点で、普通の突き指でもキツい。
それなのに、めっちゃ折れてるし、腫れてるし。ギプスを取った指を見たらもう『うわー!』って感じでした。パンパンに腫れて、色も変わってて……折れてる指してるよねって感じで。しかもめっちゃ使う指だし、私やったら無理(苦笑)。『すご!』と思いましたよ」