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ラグビーPRESSBACK NUMBER
関東学院大ラグビー大麻事件で活動自粛、意識失い脳てんかん闘病→開頭手術「なんで俺だけ…」波乱万丈すぎるラグビー人生・土佐誠38歳は今
posted2024/06/28 11:03
text by
中矢健太Kenta Nakaya
photograph by
Kiichi Matsumoto
人生は山あり谷あり。誰しも、うまくいく時といかない時がある。だが、土佐誠が歩んできたのは、あまりに険しく、激しい道のりだった。
高校1年生で初めてラグビーと出会ってから、いくつもの景色を見てきた。
大学日本一。大麻事件で活動自粛後のキャプテン就任。英語力ゼロからのオックスフォード留学。脳腫瘍からくる癲癇発作との闘病と手術、そして競技復帰――。それがどんなに暗いものでも、土佐は屈さず立ち上がってきた。そして今、38歳になった土佐は英国ケンブリッジ大学の経営大学院に通っている。
まるでマンガのようなラグビー部
山口に生まれ、中学で島根に越した土佐は、探せばどこにでもいるような野球少年だった。周囲は、高校を卒業して就職するのが王道。自分も働いて、そのまま地元で暮らすつもりだった。進学という選択肢は視野になかった。
野球で肘を痛めていた土佐は、その通院先である人物と知り合う。島根県の江の川高校(現・石見智翠館高校)でラグビー部をゼロから創り上げ、全国有数の強豪に育てた梅本衛(現・倉敷高校ラグビー部監督)だった。梅本は広島の尾道高校にラグビー部を新設しようとしていた。体が大きかった土佐は、主治医を介して梅本から誘いを受けた。
「君のような人間を全国から15人集めているから、1年生だけで広島県の3年生をやっつけて全国大会に出よう」
マンガのような話に胸が躍った。だが、初日にグラウンドに集まったのはわずか7人だった。帰宅部から助っ人を借りてなんとかメンバーを揃えたが、100点ゲームで負けることも多々あった。それでも、3年時に部員は60人前後まで膨らみ、土佐は花園初出場を果たす。
強いところでプレーしたかった土佐は、関東学院大に進んだ。当時は関東学院と早稲田が6年連続で大学選手権の決勝カードという黄金期。そんな常勝チームで、土佐は1年生からジャージを着る。2年次には大学選手権を優勝して日本一。勢いに乗っていた。
ところが3年生となって迎えた2007年11月、部員2人が大麻取締法違反容疑で現行犯逮捕され、チームは活動を自粛。シーズン中かつリーグ戦での優勝を決めた直後の出来事だった。
活動再開後、土佐はキャプテンに任命される。だが、他に大麻を吸引したとされる部員12名は不起訴となり、そのままチームに残った。曖昧なまま再スタートしたチームには亀裂が生じた。結束は明らかに脆くなっていた。