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ラグビーPRESSBACK NUMBER
関東学院大ラグビー大麻事件で活動自粛、意識失い脳てんかん闘病→開頭手術「なんで俺だけ…」波乱万丈すぎるラグビー人生・土佐誠38歳は今
text by
中矢健太Kenta Nakaya
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/06/28 11:03
本日6月28日に38歳になった土佐誠。波乱万丈のキャリアを歩んだ男はいま、イギリスにいる(写真=2019年撮影)
「相当参っていました。バラバラで、どうまとめればいいんだって。もう早くシーズン終わってくれ、とにかくこのメンバーで最後までできるんだったらなんでもいい。目の前のことに必死でした。ただ、今振り返ると、世間から見れば大人の自分が甘えていたんだと思います。心の底では『なんで俺だけ。誰か助けてくれよ』って。最後までチームをまとめきれず、多才な人間が集まっていたのに、その才能を無駄にしてしまった1年でした」
チームは内部崩壊の寸前だった。誰にも相談できない重責と孤独を抱えながら、大学選手権1回戦で早稲田に敗れるまで、土佐は懸命にチームを牽引し続けた。
文武両道の最高峰がイギリスにある
関東学院を卒業後、土佐はオックスフォード大学に留学する。高校時代に梅本から文武両道の最高峰がイギリスにあると聞いて以来、憧れのようなものを感じていた。関東学院にオックスフォードとの定期戦があったこともあり、スムーズに渡英が決まった。
入学試験と面接はないものだと思い込んでいた。だが、現地入りしてまもなく、その存在を知る。英語の素地が全くなかった土佐は途方に暮れた。語学学校に通い、死に物狂いで勉強に没頭した。
半年後、10カ月の修了証コースに合格。同時にラグビー部にも入部した。講義や課題はいつもクラスの仲間やチームメイトが助けてくれた。ラグビー部には医者や弁護士もいれば、元代表選手もいた。多様なバックグラウンドを持つ仲間たちの振る舞いや考え方に、土佐は感化された。
オックスフォードとケンブリッジの定期戦「バーシティマッチ」にも出場した。1872年から続くこの試合に一軍選手として出場すると、「ブルー」という称号が与えられる。あらゆるネットワークを持つ両校のOBは、ブルーを持つ後輩の就職を支援する。実際にブルーを手にした土佐は、ラグビーが人生を豊かにするとはどういうことかを知った。
帰国した土佐は、内定先だったNECグリーンロケッツ(現・NECグリーンロケッツ東葛)でプレーを続けた。
2012年には日本代表候補合宿にも招集がかかった。そんな選手としてピークを迎えようとしていたとき、土佐は倒れた。26歳だった。