「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
長嶋茂雄が「どうしてこんなことばかり」と嘆いた大乱闘…堀内恒夫からの顔面死球で「バッターとして終わった」ヤクルトの大明神・伊勢孝夫の告白
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byNumber Web
posted2024/06/07 11:02
ヤクルト初優勝時のエピソードを鮮明に記憶していた「伊勢大明神」こと伊勢孝夫。79歳になった現在も精力的に指導を行っている
「ピッチャーの手からボールが離れる瞬間、無意識にケツが引けるんです。“こっちに向かってくるんじゃないか?”、そんな恐怖心。それがある以上、バッターとしては終わりですよ。実際に引退するのはその2年後だけど、バッターとしては、もう終わってましたね」
セ・リーグ優勝直後に発売された、球団OBの豊田泰光著『ヤクルト・スワローズ栄光への道』(日新報道)には、こんな記述がある。
《「死球は野球をやっている以上仕方ないですネ。でもⅤ1を達成したのに、後半役に立てず、それが残念なんです」
どうにか治った伊勢だが、その“死球”の後遺症のため、後半は“大明神”も他の選手に取られっ放し。
「やはりボールを怖がっていましたね」》
しかし、この言葉とは裏腹に伊勢は日本シリーズでも印象的な一打を放ち、チームに勝利を持ち込むことになるのである。
日本シリーズ第4戦、逆転を呼び込んだ執念の内野安打
日本シリーズの相手は、上田利治率いる阪急ブレーブスとなった。75年から4年連続リーグ制覇を実現し、前年までは3年連続で日本一に輝いていた。下馬評では、圧倒的に「阪急有利」と言われている中で、スワローズナインは善戦していた。
伊勢にとっての見せ場は、スワローズの1勝2敗で迎えた第4戦、4対5と1点ビハインドで迎えた9回表、二死走者なしの場面で訪れた。この回、先頭の大矢がピッチャーゴロで倒れたものの、続く水谷がセンター前にクリーンヒット。一死一塁。ここで広岡監督は勝負に出た。水谷に盗塁を命じたのである。まずは水谷の述懐を聞こう。
「第4戦ですよね(苦笑)。あれ、僕が盗塁失敗したときに、“うわ、これはやってしまった……”と思ったんです。もしもこのまま負けることがあれば、自分の責任となってしまう。そんな思いはありましたね。確かにサインであったことはサインだったんですよ。でも、“せっかく打ったのに……”という思いはありました」