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「おかん、頑張るよー!」スタンドに何度も叫んだオリックス・宗佑磨…“母一人子一人”支えてくれた感謝の想いは「恥ずかしくないんで」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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posted2024/05/12 11:00

「おかん、頑張るよー!」スタンドに何度も叫んだオリックス・宗佑磨…“母一人子一人”支えてくれた感謝の想いは「恥ずかしくないんで」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

母への想いを素直に言葉にする宗

 宗と母の関係は「独特だと思います」と言う。

「だって、母子家庭だし、一人っ子だし、ハーフだし。いろいろ重なって、兄弟のようなところもある。母親であり、父親のようで、兄弟のようで。そんな関係なんです」

女手一つで育てた母へ

 宗は日本人の母とギニア人の父の間に生まれ、物心ついた頃には母一人子一人の生活だった。子供の頃は母の実家がある大阪で暮らした時期もあったが、その後、関東に引っ越し、野球を始めた。高い身体能力を備えていた少年は、横浜隼人高校時代に開花し、高校3年だった2014年の秋、ドラフト2位でオリックスに指名された。

 三塁手として2021年から3年連続でゴールデン・グラブ賞とベストナインを獲得している名手だが、プロ入り後、順調に芽が出たわけではなかった。最初は主にショートで出場していたが、一軍に定着することはできず、外野にコンバートされた。

 ただ、外野手になってからも「たまにゴロが捕りたくて」内野ノックに混ざっていた。その時は気楽な気持ちで、ショートの時には使わないようにしていた逆シングルも解禁し、柔らかいハンドリングで軽やかにさばいた。その姿が、当時二軍監督だった中嶋聡の目に留まった。

運命を変えたサード挑戦

「ハンドリングがいいから、いけると思うんだけど。サードやってみるか?」

 その言葉が宗の運命を変えた。挑戦してみると、サードは自分に合っていると感じた。
 

「サードはショートに比べると、バックアップなど、自分のところに飛んでくるボール以外の仕事が少ない。だから自分が捕ることに集中できる。僕は器用じゃないので」と以前語っていた。

 中嶋監督就任1年目の2021年に、宗は三塁手として一軍に定着し、25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

【次ページ】 「マジで俺、運いいなー」

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