近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
8回までノーノーでも交代指示、16四球で191球完投…野茂英雄「日本最後のシーズン」とは何だったのか「鈴木監督はそれでも期待を寄せていた」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2024/05/02 11:03
日本でのラストシーズンとなった1994年、西武との開幕戦に登板した近鉄・野茂英雄。この日、8回までノーヒットの投球を見せていたが…
191球完投で“お灸を据えた”報道も
1994年7月1日の西武戦(西武球場)で、野茂は毎回の16四球を出しながら、完投勝利を収めた。ただ、その球数は191球にも及んだ。今なら、それだけ投げさせた監督が間違いなく世間から糾弾されるだろう。しかし、当時はまだ、独自の調整法を貫き続けている野茂に、鈴木がある意味での“お灸を据えた”というニュアンスで報じる向きすらあった。1試合、1人で191球というのは、メジャーではありえないという声にも、ここは日本なんだという反論も、まだ“成立”する時代だった。
入団から4年間の勤続疲労なのか、それとも191球のせいなのか。中6日となる7月8日の西武戦(ナゴヤドーム=当時)で8回132球を投げた野茂は、続く7月15日のオリックス戦(グリーンスタジアム神戸=当時)に先発するが、2回39球で降板。その後、右肩痛を理由に、7月22日に出場選手登録を抹消された。
大事なときには、野茂の力が必要になるんや
皮肉なことに、その“エース不在”の7月26日から、チームは球団新の13連勝という快進撃を見せた。開幕ダッシュに失敗し、しばらく最下位を走っていた鈴木近鉄は、8月10日にはいったん、パ・リーグの首位にも躍り出た。
「大事なときには、野茂の力が必要になるんや」
鈴木は、優勝へ向けての“切り札”として、エース復活に期待を寄せた。しかし、8月24日の西武戦(西武球場)に先発した野茂は、3回1失点、57球でマウンドを降りた。