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野茂英雄が突然の告白「来年からメジャーで投げようと思ってるんです」年俸1000万円でもドジャースを選んだワケ “裏切り者”から“日本の誇り”へ 

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笹田幸嗣

笹田幸嗣Koji Sasada

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2024/04/25 17:04

野茂英雄が突然の告白「来年からメジャーで投げようと思ってるんです」年俸1000万円でもドジャースを選んだワケ “裏切り者”から“日本の誇り”へ<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

1995年にドジャースへ入団、大リーグに挑戦した野茂英雄

 そして、ついにロサンゼルスへ入った。実はこの時点では、まだドジャースとの交渉予定はなかった。決まっていたのは、数日後にニューヨークへ向かいヤンキースと交渉することだけ。代理人のダン野村氏は「ジョージ・スタインブレナー・オーナーは獲得にノリノリだ」と言う。その情報を聞きつけたドジャースが、電光石火のごとく動いたのだった。

 ピーター・オマリー・オーナーが交渉の場に選んだのは1921年創業の老舗ステーキハウス「パシフィック・ダイニング・カー」だった。野茂はこの席でオマリー氏の人柄、野球を愛する心、家族経営だったドジャースのアットホームな姿勢に心を打たれた。契約金は200万ドル(約1億9700万円)、年俸はメジャー昇格時に最低保証額の10万9000ドル(約1100万円)。しかし、前年夏に始まったストライキの影響で、マイナーからのスタートだった。もしマイナーのままシーズンを過ごせば、年俸は6万ドル(約600万円)にしかならない。それでも野茂はドジャースを選んだ。

 2月12日、ドジャースタジアムのオーナールームで契約書にサインした。彼に決め手を聞いた。答えはシンプルだった。

「オマリーさんがいたからです」

 ニューヨークへは行かず、ヤンキースとは交渉さえも行わなかった。

「いつかストライキは終わりますから」

 密着取材を許された筆者は、野茂と行動をともにする中で幾度も彼が持つ「己を信じる力」「周囲に惑わされない強さ」に心を打たれた。権力にも決して屈しない。前例なき時代に、道を切り開く強さを誰が持っていただろうか。だが、彼の挑戦はまだ序章に過ぎなかった。

 3月3日、ドジャースが春季キャンプを張るフロリダ州ベロビーチに入った。まだメジャーリーグはストライキが解除される見通しもない。それでも彼は笑っていた。

「いつかストライキは終わりますから」

 自分にコントロールできないことは気にしない。それも彼の強さのひとつだ。

 4月2日、ストライキが解除されるとベロビーチにメジャーリーガーが集まった。

「元気ですか? 日本語、少し話せます」

 笑顔で話しかけてきたのは正捕手であり主砲のマイク・ピアザだった。初めてピアザ相手にブルペンで投げた日、野茂はいつになく上機嫌だった。

【次ページ】 「捕手が彼ならば大丈夫と安心しました」

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