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“消えた天才”あの高校サッカー得点王は今…「もしかして、あの平澤さんですか?」“Jリーガーにならなかった男”が選んだ超一流企業の仕事
text by
栗原正夫Masao Kurihara
posted2024/04/21 17:03
東海大一高時代に選手権得点王になった平澤政輝。Jリーグを選ばなかった平澤が、“その後”を明かす
Jリーグはなるべく見ないようにしていたというか、進んで見ることはなかったです。もちろん嫌でも情報は入ってきますが……。一緒にプレーしたり、対戦した選手もいたので『アイツでもプロでできるの?』と思ったりしたことはありました。ただ自分はもうサッカーをやめたわけで、どこかで割り切っていました」
ただ、高校時代のチームメートでともに日本一になった澤登の出る試合を見るため、日本平スタジアムへ出掛けたことはある。
「会社のなかに僕がサッカーをやっていたことを知っている人もいました。『チケットを取ってくれないか?』と頼まれて、一緒に見に行ったことはあります。そのスタンドで『あれ? 東海大一にいた平澤さんですよね?』と声をかけられ、『あ、どうも』なんていうやり取りもありました。
ただ、自分からサッカーをやっていたと話すことはなかったですね。会社では、テストドライバーの指導員をやっていたことがありました。そこに資格を取りに来る社員のなかにサッカー好きな人がいて『高校サッカーのあの平澤さんですか?』なんて聞かれて。逆に『どの平澤さんですか。少しサッカーをかじっていただけです』と返す程度で。自分から言うのもカッコ悪いし、積極的にサッカーの話題に触れることはなかったですね」
約10年間務めた「テストドライバーの仕事」
1988年のトヨタ自動車入社後からの数年間は、平日は朝8時に始業し、昼休みを挟み、13時半まで仕事に従事。その後はサッカーの練習に打ち込んでいた。
入社当時はサッカーをしながら、車両整備を行う部署で、自動車の無段変速機に使うベルトの動作確認や点検業務をしていた。サッカー部を辞めた後、25歳の頃にテストドライバーを担う部署に異動願いを出し、約10年間にわたり自動車のテストドライバーやドライバーの指導員を務めた。
「入社後の約4年間はサッカーをしていたので、同期の仲間と比べて半分しか働いていませんでした。なので、周りの社員と一緒に整備の仕事をしていても技術で勝てるわけがない。