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食事は冷めたピザ、何度も監督室で「クビ」宣告…筒香嘉智はそれでもメジャー挑戦をやめなかった 在米記者が見た「4年間の苦闘」
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph byUSA TODAY Sports/Reuters/AFLO
posted2024/04/20 11:00
今年3月、サンフランシスコ・ジャイアンツでプレーする筒香。メジャー挑戦直後の2020年3月にコロナ禍が直撃し、逆境の日々が続いた約4年間だった
ビザ取得が遅れ、調整が間に合わなかった4年目
23年はレンジャーズとマイナー契約を交わしたものの、ビザの取得が遅れ、キャンプには途中合流を余儀なくされた。開幕までに実戦での調整が間に合わず、戦力構想から外れ、マイナー行きを通告された。
開幕後間もなく、傘下3Aでプレー機会が少ないことを実感した後には、独立リーグのニューヨーク「スタテン・アイランド」でプレーすることを決断した。中心地マンハッタンからフェリーで約25分を要する同地では、食事はほぼ毎日冷めたピザばかり。手を伸ばせる代物ではなかった。そんな不遇の中でも、結果を残したことで、同年にはジャイアンツとマイナー契約を交わした。NPBで打撃2冠を獲得した実績があっても、米国の競争社会では何の意味も持たない。めまぐるしい環境の変化も、正面から受け止めつつ、グラウンドに立つことを最優先にしてきた。
常にアクシデント続きだった日々だったが…
米国移籍後は、コロナ禍、オーナー陣による「ロックアウト」、故障、ビザの取得遅れなど、常にアクシデントと向き合ってきた。その間、監督室に呼ばれ、「クビ」を通告されたことも1回や2回ではない。だが、ロッカー室で荷物をまとめ、次の行き先が見えないまま、球場を後にしても、筒香は未練がましく振り返ることをしなかった。
目標をあきらめる、という選択肢はなかった。
自費2億円を投じた活動に込めた思い
野球選手としての処遇が不安定でも、筒香は自らの置かれた立場や役割を強く自覚していた。昨年12月には、故郷の和歌山・橋本市に自費2億円を投じた「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY」が完成した。