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「大切な人を大事にして」ロッテ・澤村拓一はなぜお立ち台で想いを口にしたのか…今明かす祖母との別れ、涙の秘話「愛しているよ。おばあちゃん」
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2024/04/26 11:05
気迫溢れるピッチングでピンチを抑えた澤村
最近は体力も落ちており要介護だったことから施設暮らしを続けていた。だから澤村は出来る限り、一緒の時間を過ごそうと時間が空けば、地元の栃木に向かう日々を送っていた。体力面を考慮して一日で面会できるのは10分以内程度。それでも今年に入って8回以上、顔を出した。
「愛しているよ。おばあちゃん」
自主トレ期間中の1月も、春季キャンプから帰った時も、オープン戦の合間も、時間が空けば栃木にいた。ほとんど会話は出来ない状態だったが、ベッドに横になっている祖母の耳元で言葉をかけた。
「愛しているよ。おばあちゃん」
その細い手を握り、何度も何度も優しく言葉を重ねた。きっと声が届いていると信じて片道2時間ほどかけて車のハンドルを握り、面会してすぐにトンボ返りする。そんな日々を繰り返した。
「それは自分の中で決めた事だったので。体調が悪くなっていると聞いてからそう決めた。ただ、そこからどんなに会っても、時間があったとしても悔いは残りますよ。どうしても、やっぱり残る」と澤村は言う。
もっともっと会ってあげたかった。一緒の時間を過ごしたかった。それは祖母が天国に旅立ったと聞かされた時に最初に沸き上がった想いだった。そして「おばあちゃんは立派だったと思う」と在りし日の祖母を偲んだ。
「何があってもマウンドに」
父から訃報が届いた時、まだ練習開始までは時間があった。休むことも出来たはずだ。ただ、その選択肢は澤村の頭にはまったくなかった。
「それはおばあちゃんも望んでいないはずだと思った。仕事を放棄することは出来ない」
ジャイアンツ時代、シーズン真っただ中に母方の祖母が亡くなった時も、両親はあえてその事実を数日、伏せ、オフの前日である日曜日のデーゲームが終わってから報告をくれた。「何があってもマウンドに立ち続ける。それが澤村家のルール」
澤村は決意を込めた強い口調で話した。
この日も毅然とマウンドに立った。出番は8回に訪れた。そこまで1点のリードを守り、好投を続けていた先発の西野勇士投手が8回2死一、三塁のピンチを作ると名前をコールされた。ストレート2球でカウント1―1とし、渾身のスプリットでサードゴロに抑えた。マウンドで雄叫びを上げた。そしてベンチに戻る途中だった。一塁側の白線をまたいだところで、ほんの少しだけ立ち止まり、空を見上げた。半月の光がグラウンドを照らしていた。