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「あんな経験は誰にもしてほしくない」東海大会で準優勝→センバツ落選の“不可解選考”から2年…静岡・聖隷クリストファー野球部主将のいま

posted2024/03/26 06:01

 
「あんな経験は誰にもしてほしくない」東海大会で準優勝→センバツ落選の“不可解選考”から2年…静岡・聖隷クリストファー野球部主将のいま<Number Web> photograph by Takeshi Shimizu

2年前、東海大会で準優勝しながらまさかのセンバツ落選を経験した聖隷クリストファー高の主将だった弓達寛之。現在は強豪・武蔵大野球部の2年生

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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 いまから2年前のセンバツ甲子園。大きな話題となったのが、出場校の“不可解な選出基準”だった。東海大会で4強止まりの大垣日大が選ばれ、決勝戦で惜敗した準優勝校の聖隷クリストファーが落選したのだ。一見すれば、明らかに理不尽な逆転現象。当時の高校生たちは、そんな異常事態をどう受け止めたのだろうか。「衝撃の落選」を経験した、当時の主将に話を聞いた。《NumberWebインタビュー第2回/前編から読む》

神戸のシニアチーム→静岡・聖隷クリストファー高へ進学

 弓達(ゆだて)寛之は神戸で生まれ、地元の神戸西リトルシニアから静岡県浜松市の私立高校に進学する。聖隷クリストファーの母体はキリスト教系の病院。院内の緩和ケア病棟は、日本初のホスピスと言われていて、高校の始まりも看護学校だった。

 シニアで全国大会には出場したが、強豪に勧誘されるほど目立った選手でもない。シニアの監督が自分に合ったところを探してくれたので、勧められるままに決めた。

 シニアではショートのレギュラー。ピッチャーでは4番手ぐらいだったが、高校に入ってすぐに投手中心にやるようになった。

 入学と同時にコロナ禍になってしまう。その中で2つ上の代が夏の独自大会で初めて県で優勝した。1つ上の学年も県でベスト16まで進んで、自分もマウンドに登った。新チームは自分が引っ張る決心をする。キャプテンになりたいと監督に直訴したという。

 秋の県大会で準優勝して東海大会に進んだが、1回戦で7回まで投げたところで右ヒジを痛めてしまう。

 高校3年の夏にヒジの手術をしてから1年半が経った。大学2年になる現在、そのヒジは完治しているそうだ。

 取材で訪問する数日前、大学のBチームからAチームに昇格して、オープン戦で先発した。3イニングを投げて被安打3、無四球、失点0。自己評価は合格点で「アピールできた」という。

「高校のときより体型がガッチリしたね」と感想を伝えた。

「それは嬉しいです。身長は179センチで変わっていなくて、体重は76キロ。高校は65キロでしたから」

【次ページ】 「自主性」重視の武蔵大野球部

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