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「千原ジュニアさんみたいになりたい」人気サッカーYouTuber・レオザフットボールが吉本の若手芸人だった頃「かなわないと思った芸人は…」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byŠVABO TOKYO
posted2024/03/17 17:00
YouTuber「レオザフットボール」になるまでの半生について話を聞いた
漫才界のロックスターになる
「当時M-1が流行り出してきていたんです。そこで千原兄弟の漫才バージョンというか、ロックミュージシャンみたいな感じの漫才をやって一番を取る。そうして漫才界のロックスターになるというイメージでした(笑)」
初めての授業のオリエンテーションの時に相方を見つけ、決めた。見た目がおもしろくて、名前が「れお」で同名だったからだ。その翌日から漫才の練習を始めた。
「漫才は、俺について来てくれ、俺が思った通りにやってくれればいいからって感じでした。千原兄弟は、ジュニアさんがネタ作りをしていて、せいじさんはキャラで活きる感じだったので、そういうフォーマットでいいかなと思っていたんです」
ピン芸人ではなく、コンビを組んだのは、千原兄弟が好きだったのもあるが、マイクを前に2人で行う漫才のスタイルが、レオザが求めるものだったからだ。
ネタを作るのに心血を注いだ日々
「笑いの取り方はボケの時点では?なものがツッコんで分かるというのが好きでした。ツッコミの後に、お客さんの理解が追いついて大きくウケが来るみたいな感じです。生配信で自分がボケた時、『レオザさんのボケ、分かりにくい』とチャットの人たちに言われることもありますが、チャットで的確にツッコんだり広げてくれたりする人が何人かいて盛り上がるんです。これをお笑いの劇場でやると取りこぼさず毎回笑い声を起こさないといけないので、チャットの人の役割も僕が担わないといけない。そのためにツッコむ相方が必要で、それが僕らの漫才のベースになっていきました」
漫才のネタは、レオザが考えていたが、東京で生活していくためにはアルバイトをして生活費を稼がなければならなかった。それは、多くの芸人がたどる道でもあるが、レオザもカフェ、居酒屋、カラオケ、コンビニなど、いろんなアルバイトをこなした。だが、自分のなかにはバイトをする上で大事にした条件があった。
「正直、頭のなかでネタを考え、構成する時間が優先で、ラクしてお金を稼げるならバイトは何でもいいって感じでした。例えば、居酒屋でホールや皿洗いはするんです。ネタを考えながらできるんで。でも、昇進してサラダを作る役割を与えられたらすぐにやめました。いろいろ手順を覚えないといけないのが面倒なんですよ。あと、シフトの調整がつかないとか、嫌だなと思ったらすぐにやめていましたね」