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「天才棋士29歳・最期の奮闘」死の半年前にA級復帰…対局相手だった田丸昇九段が知る「西の村山vs東の羽生善治」生涯の名局と『聖の青春』 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2024/03/14 17:03

「天才棋士29歳・最期の奮闘」死の半年前にA級復帰…対局相手だった田丸昇九段が知る「西の村山vs東の羽生善治」生涯の名局と『聖の青春』<Number Web> photograph by Kyodo News

98年2月、B級1組順位戦で田丸昇八段(手前右)に勝ち、A級カムバックを決めた村山聖八段

 私が不定形の将棋にあえて持ち込むと、村山も応じて乱戦になった。その最終盤で村山の寄せが炸裂した。1図は投了後の推定局面。▲5二飛(△同玉は▲5三銀△4一玉▲4二金で詰み)以下は、△3三玉▲2四金△同玉▲2二飛成△2三桂▲3五銀△1五玉▲1六歩(2図)で詰み。

 村山八段は田丸八段に勝ち、A級への復帰昇級を1年で果たした。名人への道がまた開かれた。4月中旬には大阪のホテルで、森一門による祝賀会が催された。

今わの際に、棋譜をつぶやき…

 しかし、村山に厳しい現実が待ち構えていた。

 大学病院の主治医からガンの再発を伝えられたのだ。MRIの検査結果では転移が予想以上に速く進んでいて、入院を宣告された。村山は病状の深刻さを痛感し、1998年度の公式戦の休場を自分の意思で決めた。

 村山は5月中旬、別の広島市民病院に入院した。父親の伸一は、息子が食べたい牛丼、お好み焼き、シュークリームなどの食べ物を調達した。牛丼はM屋ではなくY屋だと、いつも注文をつけられた。また、サッカーワールドカップ・フランス大会のビデオを見たいと言った。名人戦の棋譜の入手も頼まれた。その一方で、葬儀や遺言についても話し合った。

 村山は激しい痛みに耐えながらサッカーの試合を見た。鎮痛剤の投与は拒否した。痛みや熱が消えると、市内を歩いて古本屋を巡った。

 8月になると血圧と体温が低下し、ほかの症状を併発した。意識が次第に混濁している今わの際には、「3四歩、同銀、6五歩、8六歩、同歩……」などと棋譜をつぶやき、「2七銀」で止まった。

 98年8月8日12時4分。村山聖は進行性膀胱ガンによって29歳で死去した。

大崎が描いた永遠の名作『聖の青春』

 村山は同年のあるアンケートで、好きな言葉は「土に還る」と書いていた。

 師匠の森は追悼文で《村山聖は汚れのない生をまっとうした。死んでも、いつも私のそばにいる》と結んだ。

 2000年2月に『将棋世界』編集長の大崎は、『聖の青春』(講談社刊)という村山の評伝を刊行し、感動的な内容が絶賛された。それを契機に作家に転身した。ある文芸評論家は「泣きながら書評を書いたのはこの作品が初めて」と語った。

 2016年には同名の映画がKADOKAWAで制作された。村山を松山ケンイチ、森をリリー・フランキー、羽生を東出昌大らの俳優が演じた。第1回第2回からつづく>

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29歳で死去「消えた天才棋士」村山聖は幼少から必死に生きていた…中1にして「大阪へ1人で行く!」決断させた“未来のライバル”とは

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