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元巨人のプロ野球ピッチャーですら補欠に「僕が入るスキがなかった」史上最強“雪合戦チーム”とは何者なのか?「あの元甲子園球児も在籍」

posted2024/02/23 17:01

 
元巨人のプロ野球ピッチャーですら補欠に「僕が入るスキがなかった」史上最強“雪合戦チーム”とは何者なのか?「あの元甲子園球児も在籍」<Number Web> photograph by Kei Nakamura

競技雪合戦の雪球。専用の雪球製造機で作る。試合は7人対7人の3セットマッチ(1セット3分)で行われる

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中村計

中村計Kei Nakamura

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Kei Nakamura

 大の大人がマジでやる雪合戦がある。それが北海道壮瞥町発祥の競技雪合戦だ。7人対7人で、計5つのシェルター(防御用の壁)をうまく使いながら、1人でも多くの選手に雪球をぶつけた方が勝ちというシンプルなルール。

 そして今、北海道千歳市に、史上最強の雪合戦軍団がいる。それが「でぃくさんズ神出」だ。壮瞥町で開催されている最高峰の舞台、昭和新山国際雪合戦は、今年で35回目を迎える。でぃくさんず神出は昨年、その昭和新山で史上最多となる5度目の優勝を飾ったのだ。

 彼らは、もともと軟式野球チーム「神出設計ecoaハウス」のメンバーでもある。同チームは元プロ野球選手や、田中将大(楽天)の同級生で甲子園の準優勝経験者なども在籍する道内屈指の強豪。そんなベースボールマンたちが雪合戦にドハマりした理由を語る。

 ◆◆◆

元高校球児「雪合戦がこんなに難しいとは…」

「大人になってから世界一を目指せるスポーツって、そうそうないじゃないですか。でも雪合戦なら目指せるなと思って」

 そう語るのはでぃくさんズ神出の代表を務める田村和宣だ。彼は昭和新山国際雪合戦の30回大会を記念して行われた国別対抗の日本代表監督も務めた人物である。

 7人制雪合戦は1988年、壮瞥町で国際ルール化され、第1回大会が開催された。町おこしの一環だった。そこからフィンランド、カナダ、中国などにも広まった。

 でぃくさんず神出の結成は雪合戦誕生から遅れること15年、2003年のことだった。メンバーは住宅設計・施工を請け負う「神出設計ecoaハウス」の大工さんたちだった。北海道では大工さんのことを「でいくさん」と発音する。だから、本来は「でいくさんズ神出」だったのだが、誰かが「い」を「ぃ」と勘違いしたのをきっかけに「でぃくさんズ神出」の名称で定着してしまったのだという。

 結成当時、彼らは全国大会にも出場したことがある会社の野球チームのメンバーでもあった。いずれも高校時代は硬式野球に打ち込んでいた腕に覚えのある選手ばかり。田村もエースとして小樽工業を牽引し、地区大会の決勝まで進んだことがある。

「雪合戦なんて、すぐ優勝できると思ったんですよ。1、2年くらいで。でも、球が速いだけでは勝てない。雪合戦がこんなに戦術化されていて、難しいものだとは思いませんでしたね。雪球に当てられると、本当に悔しいんですよ。それでハマっていった感じですね」

【次ページ】 「速い球だけでは勝てない」

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