誰も知らない森保一BACK NUMBER
「ええっ! ハジメくん金髪?」森保一監督の“いきなり金髪伝説”とは「ハジメくん、やんちゃでしたから」中学卒業式、地元で有名なエピソード
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byJFA/AFLO
posted2024/01/26 11:15
森保一監督(55歳)。2期連続で日本代表監督として指揮を執る
「ハジメ君も結構、悪かったんですよ(笑)。深堀は三菱重工がある造船の町であり、漁師町でもある。もともとやんちゃな子が多い地区で、当時はボンタンをはき、カブを乗り回すような子がごろごろいた。ハジメ君たちの学年もやんちゃでしたけど、その上がもっと悪くて。僕が1年のとき、3年生が自転車で大勢グラウンドに突入してきて、2年生をボコボコにしたこともあった。『ビー・バップ・ハイスクール』の世界? そんな感じです」
リーゼントヘアの同級生たち
現在、樋口は長崎市で立ち飲み居酒屋『ぽいち』を経営している。本人から愛称使用の許可をもらい、森保の50歳の誕生日である2018年8月23日に開店した。店内には日本代表のユニフォームや「日本に不可能はない」という森保の名言が書かれたフラッグが飾られている。
樋口は来店してくれた人たちに、よくこんな土産話をするという。
「みんな森保監督にはマジメな印象があるって言いますよね。だからお店に来てくれた方に『当時はやんちゃやったですよ』って教えるんです。ハジメ君から怒られるかもしれん(笑)」
深堀中の卒業アルバム、クラスの集合写真が興味深い。最後列、黒髪・短髪でにこやかな森保が中央に位置取る。その横にリーゼントヘアできめた男子生徒が数名並んでいるのだ。
深堀中の関係者によると、今でも「卒業式・金髪伝説」は有名だという。森保の同級生たちが大人になって家庭を持ち、その子たちが深堀中に通い、「森保監督はマジメに見えるけど当時は……」と語り継いでいるからだ。
「やんちゃな選手の気持ちがわかる」
ただし、誤解がないようにつけ加えると、森保は腕力でみんなをまとめる「番長」だったわけではない。やんちゃな友達が自然に集まる、磁石のようなリーダーだった。
「当時から仲間への思いがすごく強く、自分よりも仲間を大事にする。だから人が集まっていたんだと思います」
そう振り返るのは、隣町の香焼中学校に通っていた岩本文昭だ。長崎サッカー界に詳しい方ならご存知だろう。V・ファーレン長崎で監督や取締役を歴任し、現在に至るクラブの土台を築いた人物である。
岩本は森保と小5の終わりにサッカークラブの練習試合で対戦して顔見知りになり、互いの家が徒歩20分ほどの距離だったこともあって仲良くなった。小中高と異なる学校に通ったが、今も強い絆で結ばれている。
岩本は続ける。