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「竹澤はもうちょっと走れると思っていた」箱根駅伝での挫折、OBの厳しい声に涙…竹澤健介が“低迷にあえぐ早稲田大”の救世主になるまで 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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posted2024/01/08 11:00

「竹澤はもうちょっと走れると思っていた」箱根駅伝での挫折、OBの厳しい声に涙…竹澤健介が“低迷にあえぐ早稲田大”の救世主になるまで<Number Web> photograph by AFLO SPORT

箱根駅伝で3年連続区間賞を獲得するなど、早稲田大の絶対的エースとして活躍した竹澤健介。ロングインタビューで母校への熱い思いを語った

卒業式直後に入寮「早稲田に貢献することが僕の使命」

 その夏のインターハイ。男子5000mは、佐藤悠基と佐藤秀和が評判違わぬ活躍を見せる。留学生と互角の勝負を繰り広げ、それぞれ2位、4位に入った。一方、竹澤は、2人には約40秒離されたものの、なんとか8位入賞を果たした。この走りで、念願叶って早稲田への進学が決まった。

「本当にギリギリのタイミングでした。ただ、渡辺さんからすれば、上の2人が来てくれなかったので残念な気持ちが大きかったと思います。僕の中では“早稲田に入れてもらった”という意識があり、本当に感謝しかありませんでした。だからこそ、早稲田に貢献することが僕の使命だと思っていました」

 そんな決意を持った竹澤は、一刻も早く活躍するために、卒業式を終えて1週間も経たないうちに入寮した。3月には陸上自衛隊朝霞駐屯地で城西大、上武大との合同合宿があり、「ここでインパクトを残さないと」という強い気持ちを持って臨んだという。

 ただ、竹澤が初めて憧れを持った頃の早稲田は駅伝で常に優勝争いを繰り広げていたが、その時とは状況が大きく異なっていた。竹澤の入学時、早稲田は3年連続で箱根駅伝のシード権から遠ざかっていたのだ。それほどの低迷期は、早稲田のレジェンド・瀬古利彦が入学する約30年前まで遡らなければならなかった。

 箱根駅伝には予選会からの挑戦だったが、そこで竹澤はとてつもない走りを見せる。1年生ながら日本人トップの3位。もちろんチーム内でもトップでフィニッシュし、2位通過に大きく貢献した。

初めての箱根駅伝で味わった苦汁

 そして箱根駅伝の本大会ではエース区間の2区を任されることになる。

 予選会で20kmを走れる感覚もつかめていたし、調子自体も決して悪くはなかった。しかし、初めての箱根路では苦汁を飲まされることになった。

「20kmを走ることに抵抗はなかったんですけど、今考えると、箱根の2区を走ることに対しては準備不足でした。もともと急な上りが得意じゃないのに、コースをちゃんと熟知していなかった。それに30kmぐらい走れる体力を付けて本番に臨まないと、2区は戦えない場所でした」

【次ページ】 「竹澤はもうちょっと走れると…」OBの厳しい声に涙

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