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「お前みたいなサボりには向いてない、って(笑)」宝塚に憧れたバレエ少女が“ハードル次世代スター”になるまで…田中佑美(25歳)の転機 

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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photograph byL)Takuya Sugiyama、R)AFLO

posted2024/01/10 11:01

「お前みたいなサボりには向いてない、って(笑)」宝塚に憧れたバレエ少女が“ハードル次世代スター”になるまで…田中佑美(25歳)の転機<Number Web> photograph by L)Takuya Sugiyama、R)AFLO

日本女子ハードル界の“ニューヒロイン”として注目を集める田中佑美

「母方の祖母がかなりマニアックな宝塚ファンで、幼稚園の頃から定期的に観劇に行っていたんです。私は雪組の箱推しでした。水夏希さんの『マリポーサの花』とかが一番熱かった時代で……。幼稚園の頃になりたかった夢が二つありまして、一つがアニメの影響で人魚姫(笑)、もう一つが“ちょっとした有名人”だったんです。大変失礼な話ですが、幼い頃の宝塚はそういうイメージだったのだと思います」

 タカラジェンヌになりたい、そう思った。宝塚音楽学校の入学を目指す少女たちの多くは、中高生になると受験スクールに通い始める。だが、田中はそうした手段を取っていない。そこに彼女の勝ち気な一面が垣間見える。

「宝塚に入りたい、でもただ入るだけでなくトップになりたいという気持ちがセットであって。それがすごく難しいことであるのも理解していたので、突飛な入り方をしなければ、私がトップになるのは難しいと思ったんです。なのでスクールで磨き上げて、ギリギリで合格するより、自力でできるところまでやって受かりたいなと。素質があるならそれでも受かるだろうし、受からなかったらそれまでの人間だ、というすごく傲慢な考え方をしていました(笑)」

「陸上が大好きなタイプではなかった」

 宝塚を夢見てバレエを続ける傍ら、才能を見出されたのが100mハードルだった。中学では部活動の入部が必須で、バレエとの両立を見据えて週2回しか活動がない陸上部を選んだ。当初は「芝生で日向ぼっこをするようなゆるい部活だった」と笑うが、中学2年生のときに転機が訪れた。

「大阪中学体育連盟の強化選手に選ばれ、人生で初めて陸上選手として合宿に参加しました。参加選手の中では下から数えた方が早いような実力での参加でしたが、何をするのも新鮮で特に、トップ選手との違いや憧れを感じた感情が今でも記憶に残っています」

 4歳から10年間続けていたバレエでの柔軟性を生かし、ハードルで瞬く間に才能が開花した。3年時に全日本中学選手権、ジュニアオリンピックに出場。内部進学した関大一高では1年時から日本ユース選手権で2位に食い込んだ。

「自分自身、陸上が大好きなタイプではなかったので、高校で続けるかは迷っていましたが、中学時代にライバル出現。彼女が高校でも続けると聞いたときに、これで私が辞めたら、彼女が今後全国に出たときに勝てなくなるって思って続けることにしたんです。

 私はバレエでジャンプが得意だったので走高跳にも興味があり、高校入学時に顧問の先生に相談すると、『走高跳はひとりで黙々と練習する競技だから、お前みたいなサボりには向いていない』って言われて(笑)。ただ高校のインターバルが合っていたみたいでポンと記録が出て、それでどんどんとハードルにのめり込んでいきました」

宝塚の受験票を前に葛藤した日

 幼い頃から続けていたバレエは柔軟性だけでなく、同時に“言われた動きをすぐに再現する”という能力も養っていたようだ。

「バレエにはバーレッスンというウォーミングアップがあるのですが、先生が流した音楽に合わせて『こういう動きで』と手でパッパッと指示を出してすぐに始まるんです。それが陸上競技のドリルに近いんですよね。私は初めて言われた動きでも比較的、すぐに覚えられるタイプなんです。

 その場で動きをコピー・アンド・ペーストする能力は、幼い頃からの繰り返しのレッスンで身についたのかなと思いますね」

【次ページ】 宝塚の受験票を前に葛藤した日

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