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箱根駅伝「ゴール直前で交差点を間違えて…」あの“寺田事件”の真相とは?「中継車だって曲がったじゃん…」寺田夏生が語っていたホンネ 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byAsami Enomoto

posted2024/01/04 11:01

箱根駅伝「ゴール直前で交差点を間違えて…」あの“寺田事件”の真相とは?「中継車だって曲がったじゃん…」寺田夏生が語っていたホンネ<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2011年、箱根駅伝の最終10区を託された國學院大学の寺田夏生。ゴール直前でコースを間違えながらもなんとかシード権を死守した

寺田夏生のホンネ「中継車だって曲がったじゃん…」

 このレースが終わってから、國學院のアンカー、まだ大学1年生だった寺田夏生にインタビューをしたが、この取材はいろいろな意味でためになった。

 まず、選手名鑑などで見ていた寺田は洒落た眼鏡をかけていて、「少しとんがっている選手なのかな」と勝手に想像していた。ところが、対面で話を聞くと、記憶が明瞭で、話も論理的だった。

 まず、面白かったのは運営管理車の前田監督の声が聞こえなかったということだ。寺田はこう振り返る。

「4人がまとまって走っているということは、運営管理車からの声かけも、4人の監督さんが同時に話すことになるんです。もう、誰がなにを言っているのか分からなくて、自分の思い通りに走るしかなかったんです」

 なるほど、監督たちが一斉に話し始めたら、聞こえるものも聞こえないだろう。当然のことながら、私は前田監督がどういう声かけをしていたのかが気になり、質問した。

「僕は、寺田に早めにロングスパートを仕掛けるように言っていたんです。でも、寺田はずっと仕掛けないので、どうしたんだろうとは思ってました」

 前田監督はフィニッシュ地点直前からの短いスパートよりも、寺田はスタミナもあり、ロングスパートで決着をつけられると踏んでいた。ところが、寺田の耳には届かない。寺田本人は集団から誰も脱落しない状況で、スプリントにかける決断をしていた。

 そしてその判断は功を奏した。交差点を間違えなければ――。しかし、いろいろな要素が重なってあの事件が起きた。寺田は言う。

「もともと僕は、5区要員だったんです。でも、順調に練習が積めない時期があって、10区に回ることが決まったのは年末になってからでした。そこで、車に乗って10区の下見に行ったんですよ。日比谷通りから日本橋、そして大手町を車の中から見てましたけど、車からじゃ分からないですよ(笑)。僕は長崎から出てきたばかりでしたし、ビルがどれも同じに見えて」

 さらに、寺田にとっては悪いことが重なった。日本テレビの中継車はフィニッシュ地点までは走らず、「ひとつ手前」の交差点で右折するのだ。寺田は中継車についていっただけなのだ。

「スパートをかけて前に出られたので、『勝った!』と思いましたよ。それで中継車が曲がった交差点を曲がると、突然、音が消えました。応援の人がいなかったんです。なにか、違う世界に入り込んでしまったようでした」

【次ページ】 なんとかシード権を確保…寺田夏生の「その後」

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寺田夏生
前田康弘
國學院大学

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