「包丁でズバッと切られたような…」

　プランは序盤を抑えて後半勝負だった。スピードランナーのオムワンバにしては手堅く、入りの設定タイムは1km2分50秒。体が温まった10km以降スピードを上げる。前年と同じ16位で襷がオムワンバに渡った。5.5km時点ですでに5人抜いていた。
　 
　当時の報道によれば「9km過ぎに突然の負傷」と伝えられている。だが異変は6km過ぎに生じていた。右脚に痛みを覚え、1km3分のペースに落とす。9km過ぎから右脚に力が入らなくなった。一度抜かしたランナーたちに再び抜き返される。走りながら何度も右脚を見た。「なんで……」。9.6km付近で上田監督と併走するも、直後、完全に止まった。路肩に座り込む。右足首の上、外側の腓骨を指差しながら痛みを訴えた。15秒後、再び立ち上がるが、歩くことすらままならなくなった。オムワンバの回想。
　 
「止まったでしょ。あの瞬間、わかった。あっ、折れたって。包丁で足首をズバッと切られたような感覚だった。自分に起きていることなのに、現実とは思えなかった」
　 
　運営委員が赤旗を上げた。テレビの実況が興奮気味に叫ぶ。
　 
〈途中棄権です。山梨学院オムワンバ、無念の途中棄権です。2区でアクシデントがありました〉

途中棄権したオムワンバ　©AFLO SPORTS

 　山梨学院大の襷がプルシアンブルーから繰り上げ用の黄色に変わった。病院に搬送される救急車で、チームメイトがいる宿舎で、オムワンバは泣いた。診断結果は右足腓骨の疲労骨折だった。

「走れないのに…チームにいていいのか」

　あの日を語るオムワンバの表情から、それまでの健気さが消えた。絞り出すように言葉を紡いだ。
　 
「特に夜がね……だめだった。1週間くらいずっと部屋で泣いてたね。寝ても悪夢にうなされるからすぐに起きるんだ。チームのみんなは『とにかく体のケアに専念しよう』って気遣ってくれた。だけどね、僕は走るために来た留学生。それなのに大切な大会で棄権してしまった。誰もそんなことは言わないのに、『走れない“ガイジン”がチームにいていいのか』と思った」
　 
　箱根駅伝のオムワンバの記録は、12人抜いた1年時しか残っていない。棄権から2年間、なぜ走れなかったのか。そして今、なぜ長崎にいるのか――。
　 
〈つづく〉