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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝2区で骨折“まさかの途中棄権”オムワンバが明かす「最強留学生の悲劇」はなぜ起きたのか?「包丁でズバッと切られたような感覚だった」
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph byAsami Enomoto
posted2024/01/05 11:00
2013年の箱根駅伝で「12人抜き」の快走を見せた山梨学院大のケニア人留学生、エノック・オムワンバ(写真は2013年の関東インカレ)
2013年箱根で12人抜き「テレビ実況の声が聞こえた」
来日前から聞いていた「ハコネ」なのに、前日からチームメイトの表情がこわばっている。オムワンバは不思議に思ったが、当日にその理由がわかった。大会の規模が想像を超えていた。ケニア選手権の観客の比ではなかった。自然と足が震えた。
2区の鶴見中継所で待つオムワンバは、10位以内で襷を渡されると想定していた。その場合、徐々にスピードを上げていきラスト5kmからトップ争いをする。だがマネージャーの情報によれば16位だという。先頭との差は2分。レースプランを変えた、いや捨てた。視界に入ったランナーを全員抜く――。
襷を受け取った。夢中だった。10kmまでに5人、11km付近で法政大、大東文化大を抜いて8位に上がった。極東アジアの国で、自分の名前が呼ばれている。声援が背中を押す感覚を知った。
「前のランナーをターゲットに。それを繰り返していく。数は数えてなかった。もうね、とにかく気持ちよかった。テレビ中継している人の声も聞こえるんだ。『オムワンバが抜いた!』だったと思う。声援の力っていうのは本当だった」
21km中盤で集団を捕らえ、一気に抜き去った。3位に上がる。中継地点直前で日体大に抜き返されるも襷を渡した。16位から4位、じつに12人抜き。いつまでも走っていられると思った。人生で最高のレースだった。
「オムワンバさん! これ食べて練習頑張って」
周囲の反応が変わった。遠征先で、大学のある甲府で、声をかけられる回数が増えた。山盛りのブドウを持たせてくれたこともあった。
2年時の箱根…3週間前の予兆
来日わずか10ヵ月、長距離経験わずかのランナーが衝撃デビューを果たせば、誰もが前途は明るいと思った。オムワンバもそうだ。まだまだ伸びると感じていた。2年時、2013年5月の関東インカレで1500m、5000m、1万mの3冠。夏は練習量を増やした。「トレーニングがハードになると『ケニアに帰りたい』って弱気になってた」。10月の予選会は個人トップで箱根出場に貢献した。
その折、ある“予兆”があった。オムワンバによれば箱根駅伝3週間前のことだ。練習で25kmほど走った翌日、右足が痛んだ。走れないほどではないが、スピードを上げると痛みが増す。病院へ行くも、レントゲン結果は異常なし。医師、監督と相談し、練習量を抑えた。本番が近づくに連れて痛みも消えたように感じた。1月2日早朝のジョグ中でさえ、好走する自信があった。