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妻&母は猛反対、中国電力社員・原晋がそれでも青学大監督のオファーを受けた理由「陸上の夢を諦めきれなかった」「最初の数年間は“寮監”でした」 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byNanae Suzuki

posted2024/01/14 06:01

妻&母は猛反対、中国電力社員・原晋がそれでも青学大監督のオファーを受けた理由「陸上の夢を諦めきれなかった」「最初の数年間は“寮監”でした」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

中国電力の社員からいきなり青学大の監督となった原晋。一体、何が彼をそうさせたのか

 しかし、最初から問題は山積みだった。大学側が強化に乗り出すとはいっても、もともと陸上部自体が体育会と同好会の間のような中途半端な状態であり、まずはそれまで在籍していた部員に、「練習が格段に厳しくなるけれど、続けるつもりはあるかな?」と意志確認をするところからスタートした。

 原は強化を始めるにあたって、3つの力を重視しようと決めていた。

「生活力」、「チームカ」、そして「競技力」の3つだ。

 チームカ、競技力というのは分かる。しかし、原はまず生活を整えることが重要だと考えていた。

「陸上競技というのは、生活力を高めることで、ある程度は強くなります。陸上選手の生活パターンというのはシンプルで、朝5時に起きて5時半から朝練習をし、その後に朝食、ミーティングをしてから大学に通います。そして午後も練習。寮の門限は夜10時、消灯時間は10時15分。これを守るだけで、ある程度までは競技力を引き上げられるんです」

飲酒によるトラブル。門眼破りもあった

 しかし、監督就任当初は、生活力を高めるのに苦労させられた。いくら口を酸っぱくして指導しても、その重要性を理解していない選手も中にはいた。

 飲酒によるトラブル。門限破りもあった。

 陸上に対して真剣に向き合わず、むしろ部の雰囲気を壊すために在籍しているような選手さえいた。

「正直、裏切られたという思いをしたことも一度や二度ではありません。最初の数年間は、私は監督というよりも“寮監”でしたよ。管理する側の私も選手のことを信用できなかった。普段から寮で学生が何か悪いことをしていないかと、疑心暗鬼になってしまった。そうなっては選手も私に心を開かないし、こちらも心にバリアを張っていますから、その呪縛を解くにはかなりの時間を必要としました」

 原には焦りがあった。3年契約という縛りがあったため、性急に結果を出そうとするあまり、選手を勧誘するにも高校時代の持ちタイムのいい選手を優先的に獲得しようとした。それが強化への近道だと考えていたからだ。しかし、その道はかえって遠回りになってしまった。

強いチームを作るには、速い選手を集めるんじゃなくて…

 陸上は個人競技だが、練習は団体で行うし、寮で寝起きを共にする。少なくとも、大学の場合は団体競技と同じように集団内での責任が求められるし、周りに好影響を与える人物がいれば、集団として成長する。悪影響を及ぼす選手がいれば、周りの選手の生活力までを低下させ、結果的には競技力の低下を招く。

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原晋
青山学院大学

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