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妻&母は猛反対、中国電力社員・原晋がそれでも青学大監督のオファーを受けた理由「陸上の夢を諦めきれなかった」「最初の数年間は“寮監”でした」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNanae Suzuki
posted2024/01/14 06:01
中国電力の社員からいきなり青学大の監督となった原晋。一体、何が彼をそうさせたのか
「単純な話、酔っぱらっていたら、朝5時に起きてしっかりと朝練習は出来ませんよね。夜更かしもそう。自分をしっかりと律することが出来る選手が強くなるし、そういう集団を作るのにさえ、苦労したんです」
契約最終年となった2006年、部内には自分のことを優先する選手がいたことで、チームはガタガタになっていた。就任する前、大学の幹部や陸上部のOBには「3年で箱根を目指す」とプレゼンテーションしていたのに、箱根駅伝の予選会で16位という結果に終わってしまったのだ。9位までが通過ラインだから、惨敗と言ってよかった。
この敗戦によって、原はようやく原点に立つことになる。
「強いチームを作るには、速い選手を集めるんじゃなくて、人間性を重視しなければいけない。選手も青山学院の学生なんだ。青山には青山のカラーに合う選手を取らなければいけないと気づいたわけです」
学生を見るときのポイント
仕事と同じだった。高校生を見るポイントは、面と向かって話した時の表情、そして表現力だった。
「返事がいいだけではダメなんですよね。上下関係が厳しい学校で育っていると、往々にして返事の良さが重視されるので、立派な返事ができる選手がいるんです。『ハイッ!』とハキハキ返事をしてくる選手がいると、かえって不安になるんです。冗談みたいな話だけど、何に対してハイッ、と返事をしてるの? と質問すると、またもや『ハイッ!』と返事をしてきた高校生もいたからね」
人材獲得の明確な指標ができたこと、そして予選会で16位に沈んでしまったものの、自分がやっている指導が部員に浸透しつつあることは実感していたから、この危機を乗り越えれば間違いなく成果は出ると確信するようになっていた。
OBからの嫌がらせ
あとは、ブレイクスルーのタイミングを待つだけだった。
そこに邪魔が入った。原は青山学院大にとって“外様”ということもあり、結果が出なかったことでOBからの嫌がらせが始まったのだ。原に対して直接クレームを入れるのではなく、学生を食事に連れて行ったりして、原の悪口を吹き込む。20歳前後の学生では、黙ってやり過ごすこともできず、選手と原の間に亀裂が入り始めた。なんとか他の卒業生が不満分子を諌めたことで、引き続き強化に携わることが出来たが、もしもこのタイミングでOB会、そして大学当局が辛抱していなかったら、2015年の箱根駅伝優勝はなかったかもしれない。
<つづく>