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「63歳の今もダンディー…」“ジーコ、マラドーナの盟友FW”カレッカが「私のキャリアで最も美しい」と語った“W杯史に残るゴラッソ”とは
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byColorsport/AFLO
posted2023/12/03 17:02
ブラジル代表時代のカレッカ。63歳となった今も均整の取れたダンディーさだった
「知人の紹介でテストを受けて、合格した。クラブの選手寮に入り、以後、本気でプロ選手を目指した」
――1978年、17歳でグアラニーのトップチームからデビューし、たちまちレギュラー。チームは、ブラジル選手権で初優勝を飾ります。
「サンパウロやリオのビッグクラブを倒して、ブラジル王者となった。天にも昇るような気分だった」
無念の82年から4年後、脂が乗り切った86年W杯
――その後もグアラニーで活躍を続け、1982年3月、セレソンに初招集されます。この年、スペインで開催されたW杯のメンバーに21歳で選ばれたのですが、故障のため出場を逃します。
「開幕直前の練習で、左太ももの肉離れ。グループステージ(GS)初戦の4日前に招集を取り消された。初のW杯出場で張り切っていただけに、大きなショックを受けた。とても残念で、悔しかった」
――当時のセレソンは、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの「黄金の4人」を擁する中盤は盤石でしたが、CFはやや力不足。「もしカレッカが出場していたら……」という声は今でも多く聞かれます。
「大会前はCFの控えという立場だったけれど、体調さえ万全なら必ずプレーする機会をもらえていたと思う。返す返すも残念だ」
――1983年、名門サンパウロFCへとステップアップ。主力選手として活躍し、1986年W杯へ招集を受けます。
「1982年大会の無念さを晴らそうと燃えていた。当時の私は25歳で、脂が乗り切っていた」
――セレソンは、GSを3戦全勝で突破。あなたは、全試合にフル出場し、2戦目のアルジェリア戦でW杯初ゴール。これが決勝点となりました。北アイルランド戦では2得点をあげ、3−0の快勝に貢献しました。
「ジーコが両膝を痛めていて、GSでは北アイルランド戦で途中出場しただけだったが、チームは好調だった。私も、GS3試合で3得点をあげて最高のスタートを切ることができた」
あれは、私のキャリアで最も美しいゴールの一つだ
――セレソンは、ラウンド16でポーランドに4−0と圧勝。あなたもPKを決めました。そして、準々決勝で名手ミシェル・プラティニ率いるフランスと激突。前半18分、あなたのゴールでセレソンが先制します。敵陣でFWミューレルとMFジュニオールがワンツーパスを繰り返してフランス守備陣を翻弄。左サイドを走っていたあなたが右足で鮮やかに蹴り込んだ。私はこのゴールをスタンドで見ていたのですが、鳥肌が立ちました。