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「3年後に結婚したい」藤波辰爾夫妻が振り返る“深夜0時のプロポーズ”…日本初アイドルレスラーの結婚は、会社を揺るがす大騒動だった
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ/アフロ
posted2023/11/22 11:05
藤波辰爾と伽織夫人。1981年、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
ともに歩んだ藤波夫妻、最高の晴れ舞台
こうして幸せの絶頂を迎えた藤波夫妻だったが、その後は伽織夫人が「山あり谷ありってよく言いますけど、深い谷がいくつもありました」というほど、藤波の周りにはいろんなことが起きた。
結婚後、新日本は選手大量離脱に見舞われ崩壊の危機に瀕し、80年代末からは重度のヘルニアを患い長期欠場。試合に復帰するどころか、一時は普通の生活に戻ることさえ危ぶまれた。
’99年からは“暗黒期”と言われ始めた新日本の社長に就任。オーナーだった猪木と現場の板挟みとなりさんざん苦労した挙句、’06年6月で旗揚げから支え続けた新日本を退団し、自身の団体「無我ワールド・プロレスリング(のちにドラディションに改称)」を旗揚げ。ここからは家族力を合わせての団体運営となった。
そして2015年、長年の夫婦の苦労が報われることが起こる。藤波がスターダムに駆け上がるきっかけとなった舞台でもある、世界最大のプロレス団体WWEからアントニオ猪木以来2人目となる殿堂入り(レスラー部門)の知らせが届いたのだ。その時のよろこびを伽織夫人はこう語る。
「私はあまりタイトルって気にしないんですけど、WWE殿堂というものがあるのは知っていたから、『この人は殿堂入りするべき人だろう』と思っていて、私の最後の大きな夢は藤波の殿堂入りだったんですね。そしたらWWEから突然電話がかかってきて。『えっ!? やったー!』っていうのが正直なところですよ。ホントに夢が叶ったので。長年頑張ってきた甲斐があったなって」
2015年3月28日、カリフォルニア州サンノゼのSAPセンターで開催されたWWE殿堂入り式典に藤波はタキシード姿で登壇。ステージ袖には着物姿の伽織夫人の姿もあった。そして「IWGPとNWAの両王座に就いた、日本で最高のレスラー」と紹介された藤波が英語で感謝の言葉を述べると、2万人近いファンやレスラー、関係者に祝福された。それは34年前のMSGでの婚約発表時、同じく2万人のファンに祝福された光景を思い出さずにはいられない、感動的な晴れ舞台だった。