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「3年後に結婚したい」藤波辰爾夫妻が振り返る“深夜0時のプロポーズ”…日本初アイドルレスラーの結婚は、会社を揺るがす大騒動だった
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ/アフロ
posted2023/11/22 11:05
藤波辰爾と伽織夫人。1981年、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
「3年後の結婚」を待ちきれなかった藤波
こうして藤波が真夜中に申し込んだ「3年後の結婚」を伽織さんは承諾。3年間は陰で藤波を支えるつもりだったが、途中でしびれを切らしたのは藤波のほうだった。
「3年って長いでしょ。1年くらい経ったら、『なんで結婚を止められなきゃいけないんだ』って、イライラしてね。もう会社に黙って結婚を強行しようとして、逆に妻に止められたこともありましたよ。その時の俺は『こんな会社、辞めてやる!』ってぐらいの勢いだったから。“雪の札幌事件”のずいぶん前に(笑)」
1984年2月3日、札幌中島体育センター。藤波は長州とのWWFインターヘビー級タイトルマッチを藤原喜明の無法乱入でぶち壊された際、「こんな会社辞めてやる!」と吐き捨てて試合コスチューム姿のままタクシーに乗り込み会場を後にしたことがあったが、その数年前にも結婚問題でイライラが爆発寸前だったのだ。
結局そんな危機を乗り越え、プロポーズから3年後に婚約を発表。それは前代未聞の婚約発表だった。
ニューヨークで結婚発表「人生で一番キスされた日」
1981年6月8日、ニューヨークのMSGで藤波は、海外武者修行中だった谷津嘉章と組んで、ザ・ムーンドックスの持つWWF世界タッグ王座に挑戦。勝利したもののルールにより王座移動はなかったが、試合後、リング上でリングアナウンサーから「WWFジュニアヘビー級チャンピオンのフジナミが今日、婚約しました。フィアンセがこの会場に来ています」と紹介され、2万人の大観衆から祝福されたのだ。
「あれはサプライズ好きの新間さんが計画して、WWFがやってくれたことだったんだけど、僕も知らされてなかったからビックリしたよ」(藤波)
いちばん驚いたのは伽織さんだろう。
「一応、ニューヨーク滞在中に発表するとは言われてたんですけど、私がリング上に呼ばれるなんていうのは、本当にサプライズでした。しかもあの時代のMSGのリングは、女子レスラーでも上がれない時代だったんですよ。そこへ私が呼ばれて、2万人のお客さんから拍手をいただいて。感動しましたね。それでリングを降りてからは、いろんな人から『おめでとう』っていうキスの嵐で。人生で一番キスされた日でしたよ(笑)」
帰国後、’81年12月14日に藤波と伽織さんは結婚披露宴を行った。その場所は、ふたりにとって憧れの夫婦でもあったアントニオ猪木・倍賞美津子夫妻が披露宴を挙げた場所と同じ、東京・新宿の京王プラザホテルだった。