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プロ野球PRESSBACK NUMBER
日本ハムからまさかの“強行指名”に「すぐに答えは出なかった」指名拒否でJR東日本に入社、履正社左腕が明かす決断の真相「プロは憧れの場所。でも…」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byKYODO
posted2023/11/04 11:03
日本ハムにドラフト6位で指名され、球団側からの説明を聞く履正社時代の山口さん。本人の心中には「ある思い」があった
中でも「高校3年間でベストピッチ」と話したのが、3年春の大阪府予選決勝の大阪桐蔭戦だ。春先に腰椎分離症を発症した影響で背番号は18だったが、ライバルと春の近畿大会出場をかけた一戦で先発し、5安打1失点完投。負傷明けを感じさせない快投で優勝し、その勢いのまま、近畿大会を制した頃には、プロ入りも意識するようになってきた。
プロに行きたい気持ちはありましたけど…
ただ、その思いと同時に、社会人野球への魅力も感じていた。2年冬。JR東日本野球部の練習に1週間ほど参加し、衝撃を受けた。
「僕が思っていた社会人野球と、実際に見た社会人野球のレベルの高さが違っていました。この人たちでもプロじゃないんだというか…。プロに行きたい気持ちはありましたけど、JR東日本にも凄い魅力を感じました」
当時、佐野日大高校(栃木)から高卒1年目で入社した田嶋大樹(オリックス)がいた。自分と同じスリークオーター気味で投げる左腕のブルペン投球を見た時、寺島さんとはまた違った凄みを感じた。
「田嶋さんの真っ直ぐに圧倒されました。当時からドラフト1位で行くだろうと周りの人も言っていました。その田嶋さんを見て、自分もこうなれるんじゃないか、これぐらいレベルアップできるんじゃないかという思いもありました」
履正社に入学した時の、あの高揚感と似ていた。その履正社の頼もしい仲間たちと、3年夏の大阪大会を制覇。夢だった甲子園の舞台に初めて立つことができた。寺島さんが1回戦の高川学園(山口)戦、2回戦の横浜(神奈川)戦とともに1失点完投勝利。3回戦の常総学院(茨城)戦で先発として初めて聖地のマウンドに上がった。ただ、「凄い緊張しました」と振り返ったように、立ち上がりを攻められ1回1/3を4失点で降板。試合も4-7で負け、最後の夏は幕を閉じた。
高卒プロか、社会人で力をつけるか
「小さい頃からテレビで見ていた場所に自分が立って、思うように結果は出せなかったですけど、甲子園で投げられたというのは凄い自信になりました」