草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
「こうやって歩くんじゃ!」16歳の井端弘和は2本の真剣の刃の上に裸足で立って…「侍ジャパン」新監督の意外な素顔と運命を変えたあの名将
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/10 17:01
10月4日の就任会見では緊張した面持ちで抱負を語った井端監督
ドラフト5位で中日に入団。大卒だが、レギュラーになったのは4年目の2001年だった。その後の代名詞ともいえる「2番・ショート」で、いきなり全試合起用したのは星野仙一監督だった。前年のオフ、同期入団の1人が戦力外通告され、チームを去った。「その話を聞いたときは瞬時に『次は俺の番か』と身震い」したと回想する。危機感と紙一重のところから、井端氏の野球人生は開花したのである。
厳しさを教わりつつ、使い続けてくれた星野監督、勝つことの味を覚え、レギュラーの責任をたたき込まれたのは落合博満監督。現役最後は巨人に移籍し、原辰徳監督にマネジメントの要諦を学んだ。井端氏には非常にクレバーな印象を抱く。自分が関わってきた監督の長所・短所や特徴をかみくだき、自分の血や肉とする能力に秀でている。
壮絶だった眼の病との闘い
その一方で故障と病気との格闘を続けてきた野球人生でもあった。高校では網膜剥離の、大学でも膝の半月板を損傷し、いずれも手術を受けた。プロでは絶頂期の2009年に上皮角膜ヘルペスを患い、引退を覚悟した。いくつもの病院を回っては治療法を話し合う。「一番大きな試練」は「この眼の病気」だったと振り返るほど、苦しんだ。だからこそ「僕に試練を与えてくれただけでなく、人としての在り方も再確認させてくれた」と言い切れる。
野村、桑原、内田、星野、落合、そして原。名監督の下でプレーし、学んではきたが井端野球は誰か1人の色には染まらないはずだ。それこそが井端カラー。その正体は、11月の初陣(アジアプロ野球チャンピオンシップ2023)で見えてくる。