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「こうやって歩くんじゃ!」16歳の井端弘和は2本の真剣の刃の上に裸足で立って…「侍ジャパン」新監督の意外な素顔と運命を変えたあの名将 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/10/10 17:01

「こうやって歩くんじゃ!」16歳の井端弘和は2本の真剣の刃の上に裸足で立って…「侍ジャパン」新監督の意外な素顔と運命を変えたあの名将<Number Web> photograph by JIJI PRESS

10月4日の就任会見では緊張した面持ちで抱負を語った井端監督 

浪人中の野村克也と“運命の出会い”

 さて、そんな新監督の素顔に迫ろう。氏の著作『土壇場力』には、大きな影響を受けた監督、野球人との話が綴られているが「出会わなかったら、僕はきっと違った人生を歩んでいたに違いない」とまで書いているのが野村克也氏である。シニアリーグでプレーしていた中学2年の秋、当時はヤクルトの監督となる前の浪人生活を送っていた野村氏の目に留まる。

 自らが率いていた強豪シニアの練習に特別に参加させ、ついには堀越高への進学の道も用意してくれた。その入学時に野村氏から言われた言葉が「今も頭の中にこびりついている」と書く。それは「人と違う感性を持て」。その後の人生で、独自の野球観を磨き、確立する土台となった言葉である。また、「もうピッチャーはやるな。高校ではショートをやりなさい」と言ってくれたのも野村氏。いずれは内野手になったかもしれないが、間違いなく野村氏は井端少年の適性を瞬時に見抜いていたのだろう。

 堀越高では2度の甲子園出場を果たし、3年夏は甲子園での降雨コールドという、継続試合がある今ではあり得ない形で終えている。そこから亜細亜大へ進学。野村氏のひと言で乗ったレールは、実は一直線につながっている。堀越高では桑原秀範、亜細亜大では内田俊雄。2人の監督は広島商黄金期の同期生だった。「広商」といえば全国に知れ渡った高校野球界のトップブランドだ。小技を極め、精神力を鍛え抜く。いわばスモールベースボールを7年間で骨の髄までたたき込まれたのだ。

「こうやって歩くんじゃ」

 同書には井端監督が堀越高時代に広商の伝統のひとつである真剣の刃渡りをやったエピソードが綴られている。1年生の夏前のこと。グラウンド脇に2本の真剣が並べられ「この上を歩け」と命じられた。当たり前だがたじろいでいると「こうやって歩くんじゃ」と、桑原監督自ら実践したという。

 監督がやったのを見せられた以上、もう逃げ場はない。「足が斬れるんじゃないかと不安な気持ちのまま、なんとか80cm弱の2本の真剣の刃を無事渡り終え、ホッとしたのを覚えている」とある。「長い野球人生で一番緊張した試合」は、日本シリーズでもWBCでもなく大学時代の入れ替え戦だったことも明かしている。野村氏が恩人だとするなら、桑原、内田両氏は紛れもなく恩師。生まれも育ちも関東ながら、その源流は広商野球にある。

【次ページ】 壮絶だった眼の病との闘い

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