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引退した松田宣浩のナゾ「酒席は1人カウンターで…」「試合後は声ガラガラ」ソフトバンク記者が見た“意外な素顔”「プライベートは寒男です」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/07 11:00
プロ野球18年間の現役生活に幕を下ろした松田宣浩
「熱男」より前に…あだ名があった
松田の代名詞にもなった「熱男」は、もともと2015年のソフトバンクのチームスローガンだった。その当時ちょうど選手会長を務めており「スローガンを広めたいという、ただそれだけ」でホームランを打った後のパフォーマンスを行うようになったのだ。
ちなみに、松田が「熱男」に出合う前、プロ入団時からよく口にしていたのは「元気ハツラツ」という言葉だった。オロナミンCのコマーシャルで耳馴染みのあるフレーズであり、昭和世代にはそのCM=巨人の選手という記憶があるだろう。
引退セレモニーの中で「私の家族は家族全員がジャイアンツファンで(球場笑いと拍手)子供のころ、ご飯を済ませ、勉強を済ませ、野球を終わらせて、テレビの前でジャイアンツを応援していました。東京ドームでジャイアンツの選手としてプレーすることに小さい頃、本当に憧れていました」と話していて、ふとあのフレーズを思い出した。
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そんな若かりし頃の松田はやはり情熱的な選手ではあったが、とてもお茶目だったという印象も強い。プロに入りたての頃は結果が出ずに苦労した。よく内野ゴロを打って悔しがっていた。そんな折、敵チームの一塁手が、松田の様子からあるお笑い芸人に見立ててあだ名をつけ、それが広まったことがあった。理由を聞くと一塁を駆け抜けた後に必ず大きな声で「チクショー!」と悔しがるからだったという。
松田の天然エピソード
また、若手時代は怪我も多く、骨折で戦線を離れたこともあった。ある時、回復を早める効果が期待できるということで酸素カプセルを勧められた時のことだ。本来はカプセルの内部に全身を入れて使用するものだが、松田は患部の手だけを突っ込んでじっと座っていたという。それだけ必死だったということだが……チーム内で笑い話として語り継がれていた。
野球選手としての大きな分岐点は、プロ6年目の2011年シーズンだったという。