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『おかあさんといっしょ』“誠お兄さん”が“体操選手・福尾誠”だったころ 肩のケガ、辛いリハビリ、勝てない「天才」…それでも五輪を夢見たワケ
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byYuki Suenaga
posted2023/09/28 11:05
『おかあさんといっしょ』第12代目「たいそうのおにいさん」だった福尾誠。かつては日本代表を目指すトップ体操選手だった
福尾誠、67位――。
オリンピックを目指した男の学生生活集大成の大会。4年生のインカレは期待には遠く及ばない結果に終わった。
「手術、リハビリ、練習して1年間必死に食らいついて、順天堂大学の中でインカレに出場できるところまで持っていけたのはよく頑張ったと自分でも思いました。ただ、会場に行って試合をしてみたら……」
高校時代から競い合ってきたライバルたちは当然のように予選上位に名を連ねていた。少し前までなら全く意識することもなかった順大の後輩たち、野々村笙吾とロンドン五輪帰りの加藤凌平が1、2位を占めていた。
肩の手術があったとはいえ、彼らから大きく引き離されての67位。個人総合での決勝進出はならず、得意の跳馬だけは決勝に残ったものの、1本目の着地に失敗して膝を痛め、2本目は跳ぶこともできなかった。心身ともに打ちのめされるような散々な大会だった。
順位とスコアの書かれた当時のリザルト表を見ながら福尾は言った。
「一緒に頑張ってきた彼らがトップにいて……申し訳ないけど知らないんですよ。僕と彼らの間にいる選手たちの名前を。でも、そういう選手たちが僕より上位にいたんです」
それは体操選手としての福尾が、これまでいたトップレベルの世界から放り出されてしまったことを意味していた。そしておそらく、もう戻ることができないであろうことも。
失意の福尾の頭に浮かんだ「もう1つの夢」とは…?
絶望する一方で福尾は潔くその現実を受け入れた。受け入れざるをえなかった。
「たとえば僕が20位にいたら一番厄介だったかもしれない。もう少し頑張ればまた戻れる、と考えたと思います。でも、そうじゃなかった。当時は間違いなく練習も一番してましたし、4年生で授業もそれほどなかったから、みんなが授業している間にも体育館に行ってトレーニングしていました。1年間休んでいたので追いつけはしなくても、少しでも食らいつきたい。自分でもそう言えるぐらい練習を積みました。その結果がこれだった。もうそれは受け入れるしかないですよね」
大きな怪我に見舞われても、圧倒的な才能の差を見せつけられても、決して挫けなかった福尾にとって決定的な挫折だった。
そして、体操選手としての夢が潰えたとき、福尾の頭の中に浮かんできたのは心の片隅に抱き続けてきたもう1つの夢のことだった。
<後編につづく>