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『おかあさんといっしょ』“誠お兄さん”が“体操選手・福尾誠”だったころ 肩のケガ、辛いリハビリ、勝てない「天才」…それでも五輪を夢見たワケ  

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/09/28 11:05

『おかあさんといっしょ』“誠お兄さん”が“体操選手・福尾誠”だったころ 肩のケガ、辛いリハビリ、勝てない「天才」…それでも五輪を夢見たワケ <Number Web> photograph by Yuki Suenaga

『おかあさんといっしょ』第12代目「たいそうのおにいさん」だった福尾誠。かつては日本代表を目指すトップ体操選手だった

「順天堂の中でも上の方でレギュラーとしてメンバーには入っていたんですけど、試合までの過程と体調管理であったり、ベストコンディションに持っていくことができませんでした。監督含めてコーチ陣が僕のその状況では戦うことができないと判断したんです」

 当時の順大はまだ現在ほど選手層が厚くなく、全日本やNHK杯でも決勝に残ったのは福尾の他に一人しかいなかった。それでも起用されなかったのだ。

「高校生から環境が変わって、住まいが変わって食事も変わって、競技に力を入れたいタイミングで体調を崩すことが多かった。大学の授業は1限が90分あって、新しい勉強をしてから部活の時間があるっていうのが……」

 いまだにどこか消化しきれない思いが残っているのかもしれない。本心を覆い隠すように急いで言葉を連ねた後、福尾は一呼吸おいてこう言い直した。

「……うん!言い訳ですね。みんなそれをやってる。僕はそれができなかった。だから必然的に出場できなかった。ちょっと天狗というか、『とはいえ使うでしょう』という意識もありましたし、当時は18歳で『なんで出してくれないんだ』とも思いました。でも、いざ大人になって振り返ってみたら、僕がコーチでも出さないですね」

大学での故障と手術、リハビリ…ロンドン五輪は断念

 インカレはインカレ、自分の目標はあくまでオリンピックと切り替えることはできたという。ところが、大学生活にも慣れ、練習量を増やし、少しずつ体操に没頭していこうとするうちに、2年生になって今度は肩に違和感が出始めた。

 その違和感が積み重なっていったある日、吊り輪の練習中に「ブチっと切れた」。肩関節の安定した動きを支える上方関節唇の負傷。野球のピッチャーやバレーボール選手にも見られるような怪我で、手術か保存療法かの選択を迫られた。大学3年の春、目標としてきたロンドン五輪の選考会はもう目の前に迫っていた。

 福尾は手術を受けることにした。その時点でロンドンの夢は消えた。

「オリンピックがあって、だましだまし続けるかどうかという選択もある中で、きちんと治してもう一度ちゃんと練習がしたいと思いました。オペが終わって麻酔が切れたときはもう復帰したくないと思うぐらい痛かったですけど(笑)。トップアスリートでも怪我から復帰して活躍している選手はたくさんいる。怪我したことの全てが挫折というわけではなく、この手術をしたからこそ待っている結果があるはずだとポジティブな思いも抱いていました」

 リハビリを経て復帰するまで1年を要した。ただし、練習を積める体は取り戻すことができた。体操選手として最も競技に打ち込んだ時期がいつだったのかというなら、福尾にとってはこの1年間、そして8月末にインカレを迎えるまでのこの時期だったかもしれない。

 心身ともに準備は整った――はずだった。しかし、満を持して迎えたこのインカレで福尾は体操選手として引導を渡されることになる。

【次ページ】 失意の福尾の頭に浮かんだ「もう1つの夢」とは…?

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