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「焦りしか感じてなかった」藤田譲瑠チマ21歳が語る海外移籍の舞台裏…目に留まったベルギー戦、4年ぶりのオランダ戦〈パリ世代インタビュー〉 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2023/09/18 11:02

「焦りしか感じてなかった」藤田譲瑠チマ21歳が語る海外移籍の舞台裏…目に留まったベルギー戦、4年ぶりのオランダ戦〈パリ世代インタビュー〉<Number Web> photograph by Atsushi Iio

ベルギーの地でインタビューに応じてくれた藤田譲瑠チマ

 18年1月に獲得した冨安健洋(現アーセナル)を皮切りに、その数は実に21人。なかでも、クラブの理念を体現するように飛躍してみせたのが、1期生と言われる冨安、遠藤航(現リバプール)、鎌田大地(現ラツィオ)の3人だ。

 契約書にサインするとき、譲瑠は立石CEOからハッパをかけられたという。

「その3人はスタメンになるだけでは満足してなかった、と聞きました。だから自分も現状に満足せず、自分を磨き続けていきたいと思っています」

譲瑠がベルギーに来るきっかけとなった一戦

 シント・トロイデンが譲瑠を獲得するきっかけのひとつとなったのが、今年3月にスペインで行われたU-21ベルギー代表戦(23歳以下のチーム)だった。

 ボランチとしてフル出場した譲瑠は試合後、「8番(アステル・ヴランクス)は本当にレベルが高かった。彼はミランで出ている選手。そういう世界基準を知ることができて、貴重な経験が積めた」と刺激を大いに受けていた。

 譲瑠の意識がトップ下のヴランクスに向けられた一方で、その後方に構える選手たちも欧州で名の知れた実力者だった。

 3番のマンデラ・ケイタはこの対戦の約2カ月後にベルギーリーグ優勝を決めるアントワープの主力選手。10番のエリオット・マタゾもメガクラブから関心を持たれるモナコの中心選手である。

 そんなふたりを、後半からボランチのコンビを組んだ譲瑠と山本が上回り、日本に流れを呼び込んだ。その様子を見たシント・トロイデンの首脳陣が「彼らはベルギーリーグでも通用する」と確信したことが、獲得の一因となったのだ。

「そうなんですか、その話は初めて聞きました。たしかに3番には1回吹っ飛ばされた覚えがあって、10番もうまかった記憶があります。ただ、理仁とのバランス、関係性で上回れた部分もある。理仁とはやりやすいし、そもそも言葉が通じるんで。これが個人で、となったら、もっと難しくなるだろうなと」

4年前のほうが酷かったと思います

 むしろ、譲瑠本人が手応えを感じたのは、6月のU-21オランダ代表戦だったようだ。

 この試合には、相手と自分の実力差を測るうえでのモノサシがあったのだ。“4年前の対戦経験”という明確なモノサシが――。

 東京ヴェルディユースの高校3年生だった19年10月、譲瑠はU-17日本代表としてU-17W杯ブラジル大会に出場した。

 その初戦の相手がオランダで、当時対峙したダブルボランチが今年6月のピッチにも立っていた。ひとりは左サイドバックに入った5番、チェルシーのイアン・マートセン。もうひとりは左サイドハーフの10番、アヤックスのケネス・テイラーだ。

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