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「焦りしか感じてなかった」藤田譲瑠チマ21歳が語る海外移籍の舞台裏…目に留まったベルギー戦、4年ぶりのオランダ戦〈パリ世代インタビュー〉 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2023/09/18 11:02

「焦りしか感じてなかった」藤田譲瑠チマ21歳が語る海外移籍の舞台裏…目に留まったベルギー戦、4年ぶりのオランダ戦〈パリ世代インタビュー〉<Number Web> photograph by Atsushi Iio

ベルギーの地でインタビューに応じてくれた藤田譲瑠チマ

 さらに言えば、6月の対戦でマッチアップした8番のライアン・グラフェンベルフはバイエルン所属(現リバプール)、11番のジョシュア・ザークツィーは元バイエルンで、2022-23シーズンからボローニャでプレーしている。

「4年前のほうが酷かったと思います。あのときは勝ちましたけど(○3-0)、ずっとボールを持たれていたし、相手のキャプテンの選手(テイラー)もすごく大きく感じた。その当時と比べたら、6月はボールを奪う回数も増えたし、そのまま持ち上がってチャンスシーンもメイクできたから、そういった部分で今回のほうが戦えたなっていう感覚がありますね」

焦りしか感じていなかったですね

 昨年9月から続いた欧州遠征で、トップシーンで活躍する同世代に対して負けていないという手応えを得た。自分もヨーロッパでやれるという自信が膨らんでいった。

 だからこそ、譲瑠はもどかしくて仕方がなかった。所属クラブでコンスタントに出場できていないという現状が――。

「焦りしか感じていなかったですね。悔しい気持ちでいっぱいでした」

 かねてから譲瑠は「25、26歳の頃にはプレミアリーグでプレーしたい」と公言してきた。現在21歳だから、海外挑戦のタイミングとしては悪くないように見える。

 だが、譲瑠はきっぱりと否定する。

「いや、遅いですね。遅いと思います。プロ1年目が終わった段階で行きたかったし、2年目が終わって行けるなら行きたかった。何が正解かはわからないですけど、もっと早く来られるんだったら来たかったという思いはあります」

コロナ禍によって失われたU-20W杯の経験

 その点で不運だったのは、コロナ禍のために21年に予定されていたU-20W杯が中止になったことだろう。

 堂安律や菅原由勢がそうだったように、この大会で活躍し、世界に自分の存在を知らしめることが海外移籍のファーストステップとなるはずだったが、譲瑠たちの世代はその機会を失ってしまったのである。

「アジア予選からすごく楽しみにしていたんです。(U-17日本代表監督の)森山(佳郎)さんから『U-17W杯、U-20W杯、オリンピック、W杯って世界大会に全部出ている選手は数人しかいない』といった話を聞いていて。自分は早生まれだからU-17に最年長で入れて、U-20もオリンピックも年長の世代という一番いいタイミング。そういうことも意識していただけに、残念でしたね」

 その一方で、クラブキャリアにおいて躓いてしまったのも確かだった。

【次ページ】 徳島とマリノス時代に味わった悔しさ

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