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ワーナー・ディアンズ21歳は国歌斉唱で涙した…日本語堪能、「じつは脚も速い」201cmロックが高校時代に抱いた夢「日本代表に入りたい」 

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野澤武史

野澤武史Takeshi Nozawa

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2023/09/13 06:00

ワーナー・ディアンズ21歳は国歌斉唱で涙した…日本語堪能、「じつは脚も速い」201cmロックが高校時代に抱いた夢「日本代表に入りたい」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

ロックとして途中出場を果たしたワーナー・ディアンズ。チーム最年少ながらイングランド戦のカギを握る好青年を野澤武史氏が解説する

将来はリーチのような…

 当時、相監督はディアンズについて「将来はブラインドサイドフランカーでジャパンに入るんじゃないか」と思っていたそうです。リーチ マイケルが担う6番のような、機敏な動きが求められるポジションですから、そのために高校3年生の頃からは柔軟性やアジリティーのようなトレーニングにも力を入れていたのだといいます。

 2年生のうちはロックとして試合経験を積み、3年時はバックローを担ったことで多角的な意識が養われた。“ロックだからラインアウトだけ取っていればいい”というのではなく、フィールドプレーでも活躍していくんだ、というマインドを相監督から植え付けられたことも、大きく伸びた要因だったのではないかと思います。

オールブラックスに入りたい

 実は、ディアンズが3年時に出場した第100回全国高校ラグビーでは、準々決勝で私が外部コーチをしている大阪朝鮮高校と対戦しているんです。ディアンズは3回戦の常翔学園(大阪)戦でも逆転トライを奪っており、彼を止める手段をあれこれ考えました。選手たちとは、「止めるのは無理やろ」なんて話しながらも「彼がボールを持ったらトリプルタックルに入れ」、「(タックルは)上に行かず下に刺さり続けろ!」と徹底マークしたことを覚えています。ラインアウトも対策を立てましたが、ボールをスティールされたりモールでトライを取られたり。大阪朝鮮高は運良く勝てましたが、その頃からディアンズのインパクトは凄まじかったです。

 父・グラントさんは元ラグビー選手で、2016年に旧トップリーグのNECのコーチに就任するため来日した時に、ディアンズは14歳でした。高校時代は、母国ニュージーランドの「オールブラックスに入りたい」という夢も語っていたそうですが、3年の花園の後には「日本代表に入りたい」と熱っぽく話していたそう。「仲間達と戦ううちに日本でのラグビーが大切な存在になったのかもしれません」と相監督はおっしゃっています。そこから3年でW杯のピッチに立つのはすごいこと。チリ戦の前の国歌斉唱の際には思わず感涙したそうで、日本代表への熱い心を持った選手でもあります。

【次ページ】 イングランド戦のキーマン

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