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合宿中に強盗被害、16-17xサヨナラボーク…甲子園出場、おかやま山陽監督はジンバブエ代表監督として東京五輪を目指していた! 知られざる“アフリカ予選”激闘録
text by
堤尚彦Naohiko Tsutsumi
photograph byTokyo News Service,Ltd.
posted2023/08/17 06:03
この夏2勝を挙げたおかやま山陽の堤尚彦監督。実は4年前は東京五輪を目指し、ジンバブエの指揮官としてアフリカ予選を戦っていた
速球に対応するバットの出し方など、高校野球の指導で培った戦い方を選手に伝え、10日間の合宿もいよいよラスト1日を残すのみとなった。さあ、充実の合宿の最終日もいいものにしようとモーリス邸(モーリスはジンバブエ野球協会の会長で、堤をジンバブエ代表監督に招聘)で目を覚ますと、昨日まであったはずのリビングのテレビがなくなっている。モーリスの奥さんが、リビングの隣で寝ていた私を起こしてはいけないと気を遣って別室に移して見ていたのだろうと思い、「ありがとうございました!」と伝えるも、奥さんは何が何やらわかっていなさそうな表情。そして、リビングに行くと「キャアー!」という悲鳴。ふと思い立って窓を見ると、外の鉄格子が捻じ曲げられ、ガラスが割られていた。
そう、テレビは移動したのではなく、強盗に盗まれたのだ。気づいた瞬間、血の気が引いた。寝室には、私と、出国の際に持ち込み切れなかった野球道具を持ってきてくれた長男・尚虎がいた。当然、部屋に押し入った際に私たちの顔を見ているはずで、「起きたら邪魔だし、殺してしまおう」となっていた可能性も十分にあっただろう。ある種“平和ボケ”していたな……と気を引き締める一件となった。
自分を成長させてくれたのがジンバブエ
合宿最終日のミーティングでは、選手になぜ自分が20年以上の時を経てジンバブエに戻ってきたかを伝えた。
「20年以上前は、ただガムシャラにやるだけの理論も技術もない、しかも英語も話せない。異文化にも対応できないダメなコーチだった。ジンバブエで、人に思いを伝えるには、まず自分が心を開き、うそ偽りなく接することの大切さ、そして我慢することの意味を知った。だから、日本で選手たちに2回も甲子園に連れて行ってもらえた。自分を成長させてくれたのがジンバブエ。だから、自分にできるジンバブエへのサポートを死ぬまでやろうと決めたから戻ってきたんだ」
どこまで選手たちに伝わっていたかはわからない。でも、真剣に耳を傾けてくれる彼らを見て、約半年後の予選も楽しみになったことは覚えている。安眠中、思わぬ命の危機に直面したものの、無事合宿を終え、一旦帰国した。
エース格のピカはカルピスにドハマり
「野球の勝敗の大半は投手で決まる」。高校野球を指導して、このことが骨身に染みていたため、2019年3月にジンバブエ代表チームの投手3人を日本に呼び、おかやま山陽で2週間の強化合宿を張った。滞在中は部員たちの家を代わる代わるホームステイ。そば、天ぷらといった日本食を振る舞われ、中には納豆を出してくれた家庭も。部員たちにとっても、異文化に触れるいい機会となったようだった。