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「壊れるような身体はしてないから」 長州力、天龍源一郎というスターを生んだ“2人の男”…アニマル浜口と阿修羅・原とは何者だったのか?
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2023/08/08 17:05
長州力とアニマル浜口のタッグ
名タッグチーム「龍原砲」の誕生
’87年6月、その長州&浜口と並ぶ名タッグチームが誕生する。全日本プロレス活性化のために立ち上がった天龍源一郎が、阿修羅・原と結成した“龍原砲”だ。
天龍は元大相撲幕内力士で’76年にプロレス転向し全日本プロレスに入団するが、長らくプロレスに馴染めずブレイクできずにいた。一方、阿修羅・原はもともと近鉄ラグビー部時代に日本一を経験し、日本人として初めて世界選抜選手となったラガーマン。こちらも’77年にプロレス転向して国際プロレスに入団。’81年に同団体崩壊後は全日本に主戦場を移していたが、中堅クラスに留まっていた。
そんな両者がシングルマッチで目一杯ぶつかり合い、のちに龍原砲を結成する遠因にもなった一戦が、’84年4月11日、大分県立荷揚町体育館で行われた、王者・天龍vs挑戦者・原のUNヘビー級選手権試合だった。この一戦を天龍はこう振り返る。
「ガンガン来てよ。俺も壊れるような身体はしてないから」
「阿修羅とはね、境遇が似てたんですよ。自分のさじ加減で(力をセーブした)プロレスやってるジャンボ鶴田選手に対して、俺が『プロレスって、こんなもんでいいのか?』って思ってるとき、彼もラグビーで鍛えた自分の力を出せずに燻ってたんだよ。
そんなとき、たまたま(ジャイアント)馬場さんが天龍vs阿修羅・原というカードを組んだんで、そのとき『阿修羅、今度の試合は、おまえのそのラグビーで鍛えた身体でガンガン来てよ。俺も壊れるような身体はしてないから』って言ってね。
実際に試合でも目一杯、ガッチャンガッチャンぶつかり合ったんですよ。エプロンサイドで阿修羅のアゴにラリアットかましたとき、リングサイド4列目まで吹っ飛んでいったりね。お客もプロモーターもビックリするような試合をしたんです。そのとき俺はね、ものすごく心地よかったんです。『これがプロレスだよ』って。
で、その試合を会場で観ていたファンが、『天龍と阿修羅・原が、地方の田舎町で凄い試合をしてくれた』って、プロレス雑誌に投書してくれてね。それを読んで、『ちゃんと見てくれてる人がいるんだな』と思って。俺も納得したし、阿修羅も日本一のラガーマンとしてのプロレスがスタートしたんだよね。そこから、お互いがお互いの気持ちを知るようになったんです」